#5「君たちはTSUTAYAなしにどう生きるか」

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#5「君たちはTSUTAYAなしにどう生きるか」

いきなりだけど、あなたが最後にTSUTAYAに行ったのはいつですか?私はこの前久しぶりに地元のTSUTAYAに行ったのだけれど、それはもう私の知っているTSUTAYAではなくなっていた。

地元のTSUTAYAは、昔は1階がCD、2階がDVDだった。今は1階にバンダイのガシャポン(この時点でかなり戸惑うのだが)、その隣に並ぶのはカードゲームと対戦用のテーブル。そして2階は最近併設されたコワキングスペースと、レンタルCDとDVD(18禁含む)だ。なかでも一番驚いたのが、CDが極めて少量のJ-POPのみ(!)になっていたこと。みなさん、洋楽が1枚もないのですよ? 時代の流れからすると当たり前なのだろうけど、あまりにも私が慣れ親しんだTSUTAYAとは姿が変わっていて、帰り道はずっとTSUTAYAのことを考えていた。

まず、私はTSUTAYAで暇つぶしをするのが大好きだった。一人でじっくり棚と睨めっこしたり、好きな人や友達とアルバムや映画を一枚一枚見ながらおしゃべりしたり。コンビニのように、特に用がなくてもついつい足を運んでしまう場所だった。そして何より、SNSも動画配信サービスも今ほど浸透していなかった時代、そこにTSUTAYAがあるということが、今の私の「好き」の基盤を築いてくれた。

高2で見た『セックス・アンド・ザ・シティ』は、主人公・キャリーの古着をミックスした自由なファッションに惹かれたし、思い返すと私が物書きへの憧れを抱き始めたのは、彼女の職業がライターだったことも関係しているかもしれない。キャリーが愛煙していたマルボロライトを真似して吸いながら見た『トレインスポッティング』は、なんてかっこいい映画なのかと感動して、レントンの“Choose life”というセリフとイギー・ポップの「Lust for Life」を頭の中で再生しながら無駄に近所を全力疾走してみたこともある。

芸術は、空いたお腹を満たすことも、渇いた喉を潤してくれることもない。実際何の役にも立たないけれど、芸術は自分を形作る大切な一部になる。私にとってTSUTAYAは、自分のまだ知り得なかった文化や考え方、生き方を、音楽や映画を通じて教えてくれるカルチャースクールみたいなものだったのだと思う。ここで過ごした時間と、得たものを大事に数えてみると、寂しくもきゅんとしてしまう。ああ、エモいって、こういうことなのだろうなあ。

今は指一本で、何にでも辿り着ける便利さが当たり前になった。あえて名指しするけれど、Netflixは毒だと思う。いや、猛毒だ。やらなきゃいけないことがあるのに、寝不足になって自分にムチを打ってまで見続けないと気が済まなくなってしまう。買ってきたチョコレートはちょっとずつじゃなくて一気に食べてしまうし、色んなものをちょっとずつ食べられる定食よりカツ丼! カレー! チャーハン! みたいなご飯の方が好きな私は、当たり前に「1日1話だけ」が出来ない。人をダメにするソファより、ぽかぽかのコタツより、Netflixは私をダメにする。

何がダメかって、あのあまりにも簡単に次のエピソードが再生されてしまうのが一番ダメだ。あの簡単さ、もう少し何とかならないのだろうか……? 次のエピソードを再生するのにスクワット10回やったら再生される「ダイエットモード」とか、英単語5個覚えたら再生される「勉強モード」みたいなシステムを選べたら良いのに。それなら罪悪感も少しは薄れるのに……。

でもTSUTAYAだったら、わざわざベッドから起きて服を着て歩いて店に行って、お金払ってそこから家に帰って来ないといけないし、返しにも行かないといけない。しかも狙っているディスクはちょうど誰かに借りられている可能性だってある。ああ、面倒くさいけれど、つまり「ちょっとずつ」ができるのだ。今の便利さに変えられない、最高に健康的な不便さがTSUTAYAにはある。

ちょうど昨日、身体にムチを打って見ていたアニメを見終わった。やっとやらなきゃいけないことに手をつけ始めて、これを書いている今、まだ夜の9時だということに驚いている。「Netflix見ないと時間めっちゃあるな!?」そんなこと、当たり前なのに見ている時は一切考えられないのだから、人間は時として自ら中毒状態に陥ることを選び、思考を停止させたいのかもしれない。お酒、タバコ、お菓子、ゲーム、ギャンブル……そしてNetflix。

それはさておき、今夜は時間がたっぷりあるので、最後にスタジオジブリ最新作『君たちはどう生きるか』について話そう。私の感想としては、宮崎駿監督の圧倒的な作家性に置いてきぼりにされた(=よく分からなかった)のだけれど、あの映画を理解するために、解説動画や考察動画の類は絶対に見たくないと思っている。

なぜなら今は、自分で考える前に他人の考え、あるいは簡単に正解に辿り着く術が溢れ返っているから。分からないなら、自分で自分なりの答えをまず見つけてみれば良いし、分からないなら分からないまま、分かる時が来るのを待てば良いと思う。どうしてもその「便利さ」だけは遠ざけたい、遠ざけないといけないのだと、『君たちはどう生きるか』を見てひしひしと実感したところだ。だから私はこの映画がDVD化されて、何度も繰り返し見ることができるのを心待ちにしている。だって、ジブリは日本のNetflixで見られないじゃない? そう、だからTSUTAYAは絶対になくならないでほしい。よし、明日はTSUTAYAに行こう。どんなにNetflixのあま~い、刺激的な毒に侵されようとも。

<過去の連載🔗>

#1「平泳ぎは前に進むらしい」
#2「死ぬときはみんないっしょ。」
#3「早くオバサンになりたいかも、しれない」
#4「部屋と赤いパンツと自意識と、私」

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Chiba Natsumi

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