バンドにおけるトム・ヨークの若い頃と現在

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バンドにおけるトム・ヨークの若い頃と現在

UKロックバンド、レディオヘッド(Radiohead)は今年、初のスタジオ・アルバム『Pablo Honey』(パブロ・ハニー)のリリース30周年を迎えた。

このアルバムの先行シングルとしてリリースされた“Creep”(クリープ)は、バンドの出世作となる。

静けさと騒々しさが交互に訪れるこの“Creep”は、エクセター大学在学中のトム・ヨーク(Thom Yorke)がアコースティック形式で作曲したものである。

レディオヘッドのベーシストであるコリン・グリーンウッド(Colin Greenwood)は、トム・ヨークから初めてそれを聞かされたあの瞬間、「自分の人生が決まったように思った」と語り、また楽曲はバンドのブレイクのトリガーとなった。

名曲“Creep”との付き合い方

“Creep”リリース当初は、何度も歌詞に出現する放送禁止用語が原因となり、ラジオでもほとんど放送されなかったが、イスラエル、次いでアメリカでヒットしたことで、Billboard Hot 100では34位を記録した。

その熱はイギリスにも飛び火し、全英シングルチャートでは7位まで上り詰める。

しかしここからのレディオヘッドは、G–B–C–Cmの循環を繰り返すコード進行による名曲 “Creep”に苦しめられることになる。

『Pablo Honey』がチャートに登場したあとのライブでは、ほとんどの客が“Creep”を目当てとしていた。

そのため、ライブで披露する新曲は全くと言っっていいほどに注目されず、『Pablo Honey』発表から2年後の1995年にリリースされる2ndアルバム『The Bends』(ザ・ベンズ)の“Street Spirit (Fade Out)”まで、レディオヘッドはこの呪縛から解き放たれずに延々と過ごした。

イベンターは「“Creep”を演奏してくれ」とレディオヘッドに要求し、イギリスやアメリカのプレスやメディアの多くが、彼らを「“Creep”だけのワン・ヒット・ワンダー」だと煽る。

ワン・ヒット・ワンダーとは日本語で言うところの「一発屋」で、そのたった1曲によってメンバーたちの精神は追い詰められ、辟易としていた。

“Creep”期とも言える当時について、今でもメンバーがメディアで語ることはほとんどない。

彼らは、数少ないインタビューでも“Creep”を「マジでゴミ」(crap)と吐き捨てていたりもする。(楽曲そのものではなくメディアらの扱いだと思いたいが真相は彼らにしかわからない)

また、バンドの楽曲のすべての作詞を手掛け、作曲についても最もバンドに貢献しているトム・ヨークが『Pablo Honey』自体を「キャリアからノーカウントにしたい」と公言するほどに、“Creep”はレディオヘッドにとって付き合い難い作品となってしまった。

トム・ヨークは、高橋盾と世界のために“Creep”を再構築する

結局、1993年のリリース以来、再生回数10億回以上となる“Creep”はレディオヘッド楽曲の中でも最高傑作と言えよう。

そして2021年3月19日、このいわくつきのヒット曲が突如再熱を帯びることとなる。

日本人デザイナー高橋盾によるブランド、UNDERCOVER(アンダーカバー)が19年ぶりに東京で単独ショーを開催したときのこと。

その2021年秋冬コレクション、CREEP VERYウィメンズのショーBGMをトム・ヨークが手掛けた。

ショーBGMとして提供された楽曲こそが“Creep”だったのである。

トム・ヨークによる、原曲の倍以上にピッチダウンした弾き語りとサイケデリックなシンセにより、繊細ささえ覚える9分のソロ・アコースティック・ヴァージョン。

その後、この9分間が世界中に配信された際には高橋盾が作品のアートワークを提供した。

ファッション誌VOGUEが「心を打つ、贅沢な曲」と賛辞を贈る逸品であるこの“Creep (Very 2021 RMX)”はトム・ヨークが友人の高橋盾のために、そして「ひっくり返ったように思える世界のために」、“Creep”を2021年版として再構築してリミックスしたものである。

UNDERCOVER、高橋盾との付き合い方

楽曲提供をするほどに、トム・ヨークとUNDERCOVERの高橋盾には以前から交流があった。

トム・ヨークは長年UNDERCOVERを愛用し、高橋盾はレディオヘッドのライブに何度も足を運んでいた。

2008年のライブで2人は初めて対面し、高橋盾はその時のことを「undercoverやってて良かったと思える瞬間でした」と自身のブログに記している。

2010年10月に開催された、高橋盾手掛けるNIKE(ナイキ)のGYAKUSOU(ギャクソウ)デビューイベント「逆走 夜の大運動会」では、トム・ヨークが書いた「逆走」の題字がポスターに使用された。

そしてトム・ヨークが率いるバンド、アトムス・フォー・ピース(Atoms for Peace)とUNDERCOVERのコラボTシャツが2013年に発売されている。

アトムス・フォー・ピース初の単独来日公演のタイミングで実現したのが、このコラボレーションだった。

そう、トム・ヨークが所属するバンドはレディオヘッドだけではない。

トム・ヨークと彼のバンド:Atoms For Peace、Radiohead、The Smile

<Atoms For Peace>

アトムス・フォー・ピース(Atoms For Peace)は、以下の5人によって結成されたスーパーグループである。

  • トム・ヨーク (Thom Yorke) – ボーカル、ギター、キーボード、プログラミング
  • フリー (Flea) – ベース、鍵盤ハーモニカ
  • ナイジェル・ゴッドリッチ (Nigel Godrich) – キーボード、プログラミング、音楽プロデューサー
  • ジョーイ・ワロンカー (Joey Waronker) – ドラム
  • マウロ・レフォスコ (Mauro Refosco) – パーカッション

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)のベーシストであるフリー(Flea)。

90年代半ばからデヴィッド・バーン(David Byrne)のツアーに参加し、ブライアン・イーノ(Brian Eno)やファットボーイ・スリム(Fatboy Slim)などのコラボ作品にも名を連ね、近年はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのサポート・メンバーとしても活動するパーカッショニストのマウロ・レフォスコ(Mauro Refosco)。

BECKとR.E.M.のレギュラードラマーであるジョーイ・ワロンカー(Joey Waronker)。

そして長年レディオヘッドのプロデューサーを務める通称6人目のレディオヘッド、ナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich)と、ボーカルのトム・ヨークという錚々たるメンバー構成。

2006年に発表されたトム・ヨークのソロ・アルバム『The Eraser』(ジ・イレイザー)のツアーのため、トム・ヨークは「みんなが乗り気ならやろう、でなければやりたくない」というつもりで全員にメールを送った。

すぐに「イエス」という返事が返ってきたそうだが、この出来事から業界でのトム・ヨークの立ち位置や人柄を想像することができるだろう。

リハーサルにて、瞬時に息が合ったことにトム・ヨークは驚かされた。

10月2日にロサンゼルスにて初ライブを行い、「辞めるには楽しすぎる」という、「贅沢すぎる」理由から翌2010年もライブを継続。

16歳の時にレディオヘッドを結成してから、他のバンドとプレイするのは初めてだったということにも気付き、かなり強烈な衝撃だったとトム・ヨークは語る。

<Radiohead>

レディオヘッドのメンバー5人は、オックスフォード郊外のアビンドン=オン=テムズにある男子全寮制パブリックスクール、アビンドン・スクールで出会った。

  • トム・ヨーク (Thom Yorke) – ボーカル、ギター、ピアノ、キーボード
  • ジョニー・グリーンウッド (Jonny Greenwood) – ギター、キーボード、オンド・マルトノ、ストリングス
  • コリン・グリーンウッド (Colin Greenwood) – ベース、サンプリング
  • エド・オブライエン (Ed O’Brien) – ギター、サンプリング、コーラス
  • フィル・セルウェイ (Phil Selway) – ドラムス、パーカッション

この頃から、トム・ヨークはスターを目指していた。

もともと友人だった16歳のトム・ヨークとコリン・グリーンウッドは、エド・オブライエンをギターとして勧誘し、3人をオリジナル・メンバーとして1985年にバンドを結成。

その後、リズムを刻んでいたドラムマシンが故障したため、上級生のドラマー、フィル・セルウェイを勧誘し、レディオヘッドの前身となるバンド、オン・ア・フライデー(On A Friday)を始動させる。

そして、兄のバンドに入りたがっていた当時15歳のジョニー・グリーンウッドをサポートメンバー兼キーボードとして参加させた。

1987年にはジョニー以外がスクールを卒業し、卒業したメンバーが彼を残してオックスフォードを離れたことによりバンドは解散状態となる。

1991年、大学を卒業したメンバーたちはオックスフォードに戻り、このときにバンドが再結成される。

再結成と同年に米ワーナー・ミュージック・グループのパーロフォン(Parlophone)とメジャー契約し、バンド名をレディオヘッドに変更。

トム・ヨークが敬愛するロックバンド、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)の作品『True Stories』(トゥルー・ストーリーズ)収録曲の「Radio Head」を由来とした。

瞬く間に翌1992年にはEP『Drill』でメジャーデビュー。そして1stアルバム『Pablo Honey』の先行シングルとして“Creep”、翌年に1stアルバムリリースという流れである。

当時のバンドはギターにベース、ドラムというオーソドックスな編成だったが、2ndアルバム『The Bends』の頃から次第に様子が変わってくる。

トム・ヨークはロック以外の音楽を追求するようになり、それは彼がクイーン(Queen)などを好み、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)などを聴いていた小学生の頃へと戻っていくかのようだった。

メンバーはロックバンド以外の楽器を使うようになり、映画音楽やサイケデリック、トリップ・ホップなど実験的な試みの集大成『OK Computer』を発表。

マッシヴ・アタック(Massive Attack)やDJシャドウ(DJ Shadow)などのエレクトロヒップホップからの影響も顕著となったこのアルバムは、本国イギリスにて初のアルバムチャート首位を記録し、その年の年間チャート8位を獲得。

少なくとも780万枚ほどの売り上げを記録し、バンド史上最大のヒット作かつレディオヘッドの世界的な出世作となった。

<The Smile>

レディオヘッドのメンバーとして世界的に知られた存在であるトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドは、イギリスの音楽フェス、Glastonbury Festival(グラストンベリー・フェスティバル)が主催する2021年5月22日開催のLive At Worthy Farmに特別ゲストとして登場する。

フローティング・ポインツ(Floating Point)やムラトゥ・アスタトゥケ(Mulatu Astatke)のバックを務め、サンズ・オブ・ケメット(Sons Of Kemet)の一員としても活躍する天才ジャズ・ドラマー、トム・スキナー(Tom Skinner)を連れて。

彼らは、英詩人テッド・ヒューズ (Ted Hughes)の詩から取ったザ・スマイル(The Smile)というバンド名を名乗った。

そしてザ・スマイルは、メンバー3人の同意のもと、プロジェクトについてのインタビューを受けない。

少ない情報の中でわかっていることは、ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)とフィリップ・シーモア・ホフマン(Philip Seymour Hoffman)が主演を務める2012年の映画『The Master』のサウンドトラックのため、この時にトム・スキナーとジョニー・グリーンウッドが初めて一緒に仕事をしたこと。

これだけである。

小さい頃はただスターを目指してた。もしかすると、今もそうかもしれない。

2つのEPを一挙に収録した日本独自企画盤が2023年8月25日(金)に発売予定となっているザ・スマイル。

これには“FeelingPulledApartByHorses”のバンド演奏テイクも収録されるそうだ。

“FeelingPulledApartByHorses”は、2009年10月6日にトム・ヨークがソロ作品としてリリースしたものであり、レディオヘッドの曲として2001年に初演されてから始まり、その後アトムス・フォー・ピースでも演奏されている。

トム・ヨークは、それぞれのバンドを横断するように、そして“Creep”のように何度も同じ曲を演奏しては、新しい曲を生み出し続けているのである。

2001年にニュー・ミュージカル・エクスプレスのインタビューで「小さい頃はただスターを目指してた」と話す彼は、あとにこうも付け加えていた。

「もしかすると、今もそうかもしれない」

もしかすると、2023年になった今もそうかもしれない。


Radiohead 公式サイト
The Smile 公式サイト
🔗THE SMILE、ライヴEP2作品を 一挙に収録した日本独自企画盤が2023年8月25日に発売

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