#2「死ぬときはみんないっしょ。」

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#2「死ぬときはみんないっしょ。」

みんなも自分もいずれ死ぬことは理解していると、言葉にすることはできる。でも実際のところは、この世の誰一人とて避けられない結末であるはずなのにどこか絵空事だ。空を見上げるたびに恐竜の形をした雲が見える気がするくらい、輪郭がなくてふわふわしている。

未知のウイルスが世界を脅かし始めてから数ヶ月が経った2020年の5月、日本は初めての緊急事態宣言を発動。街が静まり返るなか、私はひっそりと小さな部屋で30歳を迎えた。死亡者数を伝えるニュースが連日垂れ流されても、大物芸能人が亡くなっても、やっぱり私は死ぬことについてピンときてはいなかった。それこそ「死ぬってなにそれおいしいの?」と言ってしまいそうなくらい、私にとって死は限りなく抽象的な事象であり他人事でもあった。

30歳。ひとつのターニングポイントになる年齢だ。結婚や転職、引っ越しなどの大きな行動に出るきっかけにもなるし、太りやすくなったとか肌の毛穴が開いてきたとか夜更かしできなくなってきたとか、身体に起こる不都合な変化も全て年齢のせいにすることができる。それらの変化は私にも当てはまり、そして32歳の今、最も顕著な変化を感じているのが精神的な部分。と言うのも30歳を超えてから、心を乱すことがぐっと増えたからだ。

「え、普通逆じゃない?」と思う人もいるだろう。精神って大人になるにつれて安定するのでは、と。そうそう、私もそう思っていた。元々安定しているタイプだった故に、この変化には自分でも狼狽えている。明日の朝起きたら髪の毛が真っ白になっているのではないか、トイレに行ったら赤いうんちが出てくるのではないかと思うほど、今までに味わったことのない強さで芯をえぐられ、カラカラになるまで消耗してしまう。長時間のパソコン作業で涙が出てきたと思ったらそのままえんえんと泣き続けたり、漫画でしか見たことない「うめき声を上げながら頭を掻きむしる」行為を自分が現実にやっていて、ハッとしたりした日もあった。

そういう時、一日で一日分しか進まないはずの死への道をまるで一気に十日分くらい進んだ気分になる。ひたすら眠りたくなる。そして、誰も起こさないでいてほしいと思う。なまぬるく湿った鼻紙のようにぐちゃぐちゃになった自分に出会い、心の中で溺れそうになってはやっとの思いで息を吸うような日を何度も繰り返しているうちに、死にたいという気持ちがあることは必ずしも否定されるべきものではないのでは? そんなことを思うようになった。だって、生きるのってつらくないですか?

それからというもの、私の内側には死が居座るようになり、物事の捉え方も少し変わった。岸田首相が防衛費増税の一部を国民が自らの責任で背負うべきだと発言したときには、「ほほう・・・それは我々の責任なのか?」と目を細めながらあごに手を当て、「戦争するために働いて税金を払っているわけじゃなーい!」とプンスカして、最終的には「あーあ。なんでこんな世界で生きなきゃいけないんだろうか」と頭の後ろで手を組み、ずっと口をとんがらせていた。普段ならプンスカして終わるものが、なぜ生きるのかなんて、大層なことを考え始めたわけだ。答えなんて到底出るわけがないし、考えること自体が非常に虚しいことなのかもしれない。でも、死について考えることは、必然的に生きることも同時に考えることになる。

30歳になってからと、自分なりの区切りを示したことで引っかかることがひとつ。もしかしてこのモヤモヤって、ただの「お年頃」ってやつなのではないかという疑問だ。こんなことを言っている私だって、昔は生きることをひたすら美しいことだと思っていた。いや、思わされていただけかもしれないけど、そう思っていた。だって、私の生きるという天秤では、金平糖みたいに沢山の小さくてかわいいものが載せられた皿が、もう片方の皿を高く上げていたのだから。でも、大人になるにつれて「あれ、生きるのってこんなにつらかったっけ?」と左上を見上げるたび、高く浮いている方の皿にひと匙ずつ泥が盛られ始めて、今はバランスを取り始めている。

きっと、年齢とつらさのレベルって比例していくのだろう。若い時にはそれ相応の、思い返すと可愛いくらいのつらさ、つまり悩みが与えられる。「あんな男のためになぜ・・・」とかね。だけど、もしこの法則が当てはまるなら、この先つらさがもっとレベルアップすることになってしまうので、やっぱり、願わくはただのお年頃であってほしい。

そうやって見えない天秤を見つめ続けて気づいたことがある。なぜ、死ぬことについて興味を持ち始めたのか。それは自分が繰り返し心を消耗していること以上に、自分にとって大切な人が前よりも増えたからなのかもしれない、と。それは喜ばしいことだけど、ならば私は余計に死ぬことについて考えてしまう。なぜなら、できることならみんなに死んでほしくはないから。心配事の九割は起こらないというけれど、こればっかりは必ず起こってしまう。つまり、私は死ぬのがとても怖いのだ。

あの日、「早く死にたい」と言ったきみも、もしかしてお年頃の真っ最中なのかもしれない。私はその時何も言えなかったけれど、やっぱり私はきみに生きてほしいと思うし、とりあえず私もきみと同じように、死ぬ時までは生きてみようと思う。早くきみの、私の、お年頃が過ぎるのを願いながら、泥だらけになりながら。

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Chiba Natsumi

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