若手映画監督ドランの引退から映画やアートのこれからを考える

若手映画監督ドランの引退から映画やアートのこれからを考える

2023年7月上旬、カナダの若手映画監督Xavie Dolan(グザヴィエ・ドラン)が映画監督業を引退するニュースが世界中を駆け巡った。これまでの華々しい映画監督のキャリアをもってして34歳の若さで引退を宣言をしたことは、世界中に衝撃を与えた。それは必ずしも肯定的な・同情的な意見だけでなく、アメリカのTwitterでは”ナルシズムに浸りすぎ”等の否定的な意見も多くあった。

世界の若手のトップランナーとして走っていた彼の引退宣言に、私は大きなショックを受けた。世界中の若手監督志望も多かれ少なかれそうであろう。

本記事ではこれまでインディペンデントの映画の可能性を常に唱え続けていたドランについて、そして映画をつくるということについて、日本の映画製作者の末端の末端である私から語るごく個人的な所感です。

映画『マイ・マザー』

若手トップ監督引退の衝撃

グザヴィエ・ドランは19歳で制作した映画『マイ・マザー』がカンヌで上映&好評を得て世界20ヵ国の配給に売られ(史上最年少)、それ以降カンヌの常連監督になり、2014年の『Mommy/マミー』は第67回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞、翌年には審査員として参加。更に、その翌年には『たかが世界の終わり』がグランプリを受賞した。

監督キャリアとして華々しく、若くして成功し、理想的な制作者人生を歩んでいる印象だった彼であるが、その後の『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』『マティアス&マキシム』が興行的には振るわなかったこと/最新作のドラマ『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』も配給等で失敗し、多くの人に見られることなく制作費を回収できなかったことなどが、引退を決断した原因といわれている。

彼の引退が話題になったのは今年の7月頭のこと(🔗参考記事)であるが、すでに昨年、カナダ紙「Le Journal de Montreal」のインタビューでも引退の意向をあらわにしていた。

今回改めて引退の意向が取り沙汰され、インターネット上でも話題になったのは、ドラマの興行失敗が明らかになり改めてスペイン紙「EL PAIS」に語った彼の言葉が「強すぎた」ことにあるような気がする。以下、日本語訳で引用する。

「映画と監督業は諦めている。ほとんど誰も観ないようなものに、2年もの間専念する気力も体力もないんだ。あまりにたくさんの情熱を注いだせいで、失望が大きくなってしまった。」

「全てがバラバラに崩れていっている時に、物語を語ることにどういう意味があるのか理解できない。アートは役に立たず、映画に自分をささげることは時間の無駄だ。」

その後彼はネットでの大きな反響を受け、自身のinstagramでそれらをフォローする文章を発表している(🔗参考記事)が、少なからず上記の発言に生の声や想いがこもっていることは否めない。

映画『私はロランス』

映画監督は存在しない 〜映画という破綻産業について〜

そもそも、日本も海外も映画という産業の置かれている状況は風向きがよろしくない。

映画館に行く人間が減ったという漠然とした話は一般の人でも耳にするかもしれないが、現実はもっと悲惨だ。

私は日本で「映画監督をしています」というひとで、映画だけで飯を食ってるひとに出会ったことがない。「映像作家」としてくくれば、PV専門で仕事をしている人もいるし、また話は別だけれど。

そう話して、「いやいや! 自分は映画監督だけで仕事してますよ!」という人ももちろんいるだろう。だが私はその人たちにも問いたい。ワークショップや企業映像を抜きにして「純粋に自分の作品をつくる」という行為の繰り返しで飯は食えていますか?と。

そう、日本で映画監督とはまさしく肩書だけのまぼろしで、そもそも職業として成立していないのである。「職業ラッパー」となんら変わりがない。いや、むしろSpotifyやAppleMusicなどのサブスクリプションサービスで収益ベースを確立したという点では、音楽業界の方が食えているし、日本でも規模は小さいながらも「純粋に作品(曲)をつくるだけで食えてるラッパー」は何人もいる。各業界がグローバル社会に上手く適合していった中で、映画業界だけがそれらの流れから取り残されてしまったのだ。

日本の映画業界で、収益が回っているという意味で理想として掲げられるハリウッドの映画監督というやつも、ほとんどの監督が1発ドカンと作品をあてたあとでプロデューサー的立ち回りやビジネス面を強固に動くことでその地盤を固め「合法的に大博打をうてるようになった人々」である。そして監督としてその段階まで来ていたドランですらも、自宅で受けたZOOMのインタビューで「家を売らないといけないかもしれないんだ」と自嘲的に言っていたのが印象的だ。どんなばくち打ちでも興行的な失敗によって破産寸前に追い込まれるのが今の映画を取り巻く世の中だ。グザヴィエドランの最新作の配給周りはこれまでの作品でも長年タッグを組んでいたプロデューサーと組んで、いわゆるいつもの成功チームで挑んだにも関わらずこのようになってしまったのだ。

暗い話は続く。ハリウッドではAIの台頭を恐れ、脚本家や俳優が大規模なストライキを起こしている。話題作が延期になったりする影響はあるが、賃金の低さも含めて声をあげるべきときにあげるというのは非常に大切なことのように思う。だがそれもこれも、映画業界自体のシステム上の破綻、「ビジネスとしてそもそも成立していない」ということ、何年間も無視し続けられてきたその歪みが現代になって可視化され、かつ大きな地割れのように崩壊し始めているからである。

映画『マミー/mommy』

最後に

この時代になにができよう。ドランは「全てがバラバラに崩れていっている時に、物語を語ることにどういう意味があるのか理解できない」と言った。私はひとりの映画製作者として何ができようか。もちろん答えはない。

果たして、映画は何のためにつくるのか? 答えは無数にあるだろうし、自分のためも人のためもあると思うけれど、ひとえに「幸せのため」だと私は思う。何かをつくるのに、たとえば自己を顕示すること、/それによって他者の承認を得ることが「幸せ」だと思う人もいれば、作品をつくって誰かに共感してもらうこと、/誰かを救うことが「幸せ」な人もいる。あるいは単に「なんかおもしろそうで」ということを漠然とした「幸せ」に思って生きている、フットワークの軽い人間もいるだろう。

ドランは「語るべき物語はすべて語りつくした」と言った。私は少なくともまだ、自分の中に存在する物語を紡ぎ終わってはいない。それが終わるまでしばらくは私は作品制作を続けていくとなんとなく思っている。そう口では言いながらも、明日には急にインフルエンサーやYouTuberをやってるかもしれない。笑

お知らせ

過去に共同脚本として制作に参加させていただいた映画『クレマチスの窓辺(永岡俊幸監督)』がDVD化されることが決定しました。監督が各方面に働きかけて実現した円盤化に祝福の意を表すとともに、是非ひとりでも多くの方に映画が届いて欲しいと切に願っております。

Amazonや楽天など各種サイトにて予約受付中です。何卒宜しくお願い致します。

映画『クレマチスの窓辺』公式サイト

“The movie is total art”
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People

木島悠翔(きしまゆうと)1995年7月28日生まれ。同志社大学を卒業後、上京。法政大学院の創作科で物語論を学び、フリーで映画の脚本や監督を行う。2019年初短編『さよならは聞き足りない』がながおかインディーズムービーコンペティションで脚本賞、ハンブルク日本映画祭に招待上映。2021年短編二作目『LIFE IS STAIRS』が八王子映画祭に企画選出され制作。同郷の永岡俊幸監督の初長編『クレマチスの窓辺』では共同脚本を手掛ける。

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