動くことは生きること「あの夏の子供たち」

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動くことは生きること「あの夏の子供たち」

映画を見ていて美しいと感じた瞬間はあるでしょうか?

映像の美しさやロケーションの美しさはもちろんですが、なにより美しいと感じるのは〝ある状態の人〟にカメラが向けられている時です、もちろんそれは外見的な〝美〟ではありません、その人間の生命力あふれる部分、または誰にも見られたくない部分、それは他人(観客)である私たちが見れるはずもなかった、心を裸にしたその人そのものの姿。映画にそんな姿が写っているとき僕は美しいと感じます。

今回はそんな美しい瞬間に満ちている映画をご紹介します。

2009年のフランス映画「あの夏の子供たち」はミア・ハンセン=ラヴ監督・脚本による二作目の長編映画である。今回なぜこの映画について文章を残そうと思ったかと言うと、新作「それでも私は生きていく」(2022)の公開記念で開催された「ミア・ハンセン=ラブ特集 ケ・セラ・セラ 流れ行く時間とともに」@東京日仏学院で、10年ぶりに本作をフィルム上映で鑑賞したこと、により改めてこの映画は自分にとってとても大切で美しい映画であることを実感し、本作をより多くの人の見てもらいたいと思ったからである。

出会いは劇場で1日1本を必ず見るような生活に勤しんでいた21歳ごろ、名古屋は栄から少し離れた名演小劇場(2023年現在上映活動休止中)に足を運び鑑賞した際、脳天から足先までしみじみと虜になったのである。直後はすごい映画を見たと知人に触れ回ったが、言語化するとスルスルとすり抜けてしまう何かに触れた感覚もあり、うまくその魅力を伝えることが出来ず、それでもなにかとても重要でかけがえのない映画に出会ったという確かな実感と共に、どうしたらこんな映画を作れるのだろうと途方に暮れたのであった。※僕は映画を監督しています

とはいっても映画は人が作ったものである。迷わず購入したDVDを神棚に置くのではなく、繰り返し見ることでどのようにこの映画が作られているのかを学ぼうとしたのだ。

今回の文章で初見では見逃してしまうかもしれない本作の魅力を、編集長に勝手言って、前半と後半に分けて紹介していくことにします。

動くことは生きること、動きつづける人々の記録

車も人もひしめきあう騒々しいパリの街並みが映されるオープニング。
スクーターに乗った男性をカメラが追いかけつつ左にフレームアウト。

画面には主人公である映画プロデューサーのグレゴワールが建物から足早に出てくる姿が映される。この登場シーン以降グレゴワールは動きつづける。手に持った携帯電話から、自分の映画製作会社に、遠く離れた撮影現場に、愛する家族に、ビジネスもプライベートもないまぜにあちこちと電話で話しつづけるグレゴワールは、一度も立ち止まることをしない。歩きながら、車の運転をしながら、タバコを吸いながら、何かに向かって前進しつづけるグレゴワールが、強制的にその動きを停められるのが制限速度オーバー、無シートベルト、無免許運転、による強制連行である。

ミア・ハンセン=ラヴは〝動から静へ〟というとてもシンプルな演出で、この主人公がすでに仕事という病によって生活に破綻が起きている事、そしてその豪快な人物性をも露わにしつつ、警察に連行された夫をなんてことない素振りで笑って迎えにくる妻・シルヴィアの胆力と包容力も自然に見せる。

制作資金の工面に駆動するグレゴワールとは対照的に、その幼い娘たちはいかにも健康的にベッドを、野原を跳ね回り、屈託のない生命力を画面に定着させている。この映画の登場人物たちはあの手この手で忙しく、時には誰かを労わるように誠実に動きつづけ画面を美しく満たしていく。

人が動かなくなること

そんな〝前半〟の主人公であるグレゴワールが、その人間的魅力をおおいに振る舞い、監督、技術者、興行関係者と厚い親交を交わし、この世界に野心的な映画を産み落としてきたことが、芸術とビジネスが稀有に共存繁栄してきたパリという街の騒々しい景色と共に描かれる。しかし、何か大きなことを成す人間が合理的で常に正しい行いを出来るとは限らない。むしろ強大な個性は諸刃の剣であり、その大胆な決断力と後退することなき意志は、徐々に再起不能なまでの会社の負債を抱え込むことになる

迷いなく向かっていた快活な動きは暗雲とともに右往左往し、歩幅が小さくいかにも重たそうな身体を引きずった夕暮れ、自分は失敗したことをシルヴィアに吐露する痛々しく美しい橋上での場面もまた、妻と共に歩くことでその心を回復していく。動くことは生きることのように。

しかし、映画はグレゴワールがいよいよ動きを乏しくし、椅子に座りこみ、ソファーで眠りこむさまを露わにしていく。その姿をミア・ハンセン=ラブは批判も肯定もしない透明なまなざしで見つめる。極めて美しいカメラのつかい方である。

シルヴィアがイギリスに行くことでグレゴワールは無意識の孤独に誘われ、これまで決して座ることのなかったオフィスの椅子に静かに座り、PCの画面に映る自分の顔を見る。

まるで事故のようにグレゴワールのその〝動き〟はこの映画に最も似合わない道具によって強制的に停止されるのである。この映画でもっとも悲しい場面であり、この映画の始まりでもある場面だ。ぜひご自身の瞳で目撃いただきたい。

人に「あの夏の子供たち」のシンプルなあらすじを求められたとき、常に動きつづけていた人が、その動きをとめること、についての映画であると伝えるだろう。そしてその魅力を問われたとき〝人が動いていることは生きていること〟という当たり前な事実の美しさが写っていることだと答えるだろう。

つづきは残された家族たちの物語である、父が去った世界で彼女たちがどのように動きはじめるのか、後半に記していきたい。

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WRITER

Shunnosuke Iwata

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