美が体に染みつく
友達とバレエを見にいった話。
7月2日夕方から友達と合流してオランダナショナルオペラ・バレエというところへ。オランダは美術館が多くアートに関しても有名ですが、音楽や舞台芸術も充実しています。実際イタリアからギター1本でストリートライブをしながらお金を稼ぐためにアムステルダムに来た友達もいます。
私たちが見たのはアカデミーの卒業セレモニーのようなもので一般のお客様というよりは保護者の方々が多く、クラシックバレエというよりはコンテンポラリー・スタイル。
私は終始、一人の動きを目で追ったり、全体をぼんやり見たり、ひと時も無駄にしないように見方を変え、一瞬も舞台から目を背けることなく舞台芸術を”観察”していました。
これが、表現の世界なのだ、と魅了された、、、。感動の一言
また、オーケストラが舞台の下で目立たないように、しかし確かな存在感を放ち、奏で、ホール全体を包み込んでいました。本当のところをクラシック音楽にはあまり興味はなかったが生オケの楽器から放たれる「音」に感動!
何が美とたらしめるのか、何をもって美しいと認知しているのか、どうしてみんなが目を奪われるのか、完璧にあらわされた集合体、寸分の狂いもない波長、体にしみこんでいる鍛錬の結晶を見ながら考えた。ギリシャ神話の教授の授業で習った、アフロディーテとアド―ニスの物語。美しいという概念は、イメージが先行するのか、アイデアが先行するのか。私の先生は言いました、イメージが先行するのだと。美しいとされる共通のものを心に思い浮かべる前に対象を見て、思い出していると意識する前にそのイメージをぴったりと合わせる。花が美しいことはみんなが知っている。ならば、花が落ちることは?踊り手の手が、花びらが舞うように、おちる。観客は花、または美しいと自分が認識しているもののイメージを呼び起こす、いやその行為によって呼び起こされる。イメージがリンクする。美しいものと同じ、似ている、よってこの対象も美しいと感じる。
アフロディーテという強力な美しさの概念はミルラの木から生まれたというアド―ニスの母親を思い起こす嗅覚を刺激する。匂いと美しさがリンクする。彼はアフロディーテを見ているのではなく、彼の母親を呼び起こす匂いに恋をしている。
バレエが終わり、会場を出ていこうとすると、ドアマンが入口を開けてくれた。とてもシックな気品のあるおじいさん。何事もなく出ようとしたときにとっさに視界に入った、手を元の位置に戻す些細なしぐさが、まさに私が先ほどまで見ていた赤い会場内のエネルギッシュな情熱のかけらが私には見えた。外に出てから後ろを振り返り中にいるおじいさんをまた見ると、姿勢はまっすぐで美しい、、友達はバレエをやってた人なんだろうねと教えてくれた。
あの人の体には完璧な美の動きが染みついている、見え隠れしている、次の世代にこうして受け継がれていくのだとわかりました。ドアを握っているあのおじさんと、きれいな衣装を着てstand out している彼女たちの輝きには何も違いがないように感じました。