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MUSIC

【Maika Loubté】最新作『House of Holy Banana』が描く、不完全な生命への全肯定。半分バナナな私たちが、聖域(家)で紡ぐ祈りとSFポップ

Maika Loubtéが3年ぶりの沈黙を破り放ったニューアルバム『House of Holy Banana』。リリース以来、本作は「儚い日常をSF的な視点で捉えた近未来ポップ」の傑作として、リスナーの間で着実にその評価を確立している。根底に流れるのは、“人間であること、とは?”というマクロな問い。彼女が辿り着いたのは、バカバカしくも愛おしい「バナナ≒ヒト」説を起点とした、圧倒的な生命への肯定だった。

「半分バナナ」だからこそ得られた、俯瞰的な許し

「バナナはヒトの遺伝子と50%以上一致する」というシュールな俗説。マイカはこのアイディアを単なるジョークではなく、現代社会が失いかけている「許し」を再構築する鍵とした。「なにせ私たちは半分バナナなのだから、うまく生きられないことがあって当然だ」。この超俯瞰的な気づきが、最小の社会単位である「家(House)」という聖域を舞台に、逃げ場のない焦燥感を安らぎへと変質させていく。

『蜘蛛の糸』が浮き彫りにする、日常の危うさと死生観

アルバムの核心を突く楽曲「Kumo-no-ito」は、芥川龍之介の古典に着想を得た意欲作だ。ドリームポップの幻想性とIDMの緻密なビートが交錯する音像は、私たちの幸福が微かなバランスで保たれているという「平和の危うさ」を白日の下にさらす。地獄へ垂らされた糸のように細く、しかし確かな希望。アルバム全体を貫く死生観は、この曲によってより鋭く、深く定義されている。

冷徹なサウンドに宿る、祈りのような「体温」

フューチャーガラージ、アシッドトランス、アンビエント。多岐にわたるエレクトロニック・アプローチを見せながらも、一貫しているのは「冷たさの中にある確かな体温」だ。butajiやMarty Holoubekといった強固な客演陣、そして長年の盟友・Sountriveによるマスタリングが、実験的な音像とポップソングとしての強度を両立させた。デザイナー・nyoroが手がけたシュールで神秘的なアートワークとともに、本作は抗えない時間の流れを静かに受容し、不完全なまま共生しようとする生命の美しさを描き出している。

Maika Loubté コメント

感覚的なことを言葉にして伝えるのは、いつも簡単なことではありません。変なタイトルをつけてしまったことを我ながら悔やんだりもしましたが、『House of Holy Banana』は、音楽的にもテーマ的にも、自分の中でとても重要な作品になりました。

ある日、SNSで見かけた「人間の遺伝子の約50%はバナナと一致する」という一見ユーモラスな俗説。この俗説に対して「うまく生きられないことがあって当然。なんせ、私たちは半分はバナナだったんだから。」と解釈したとき、いかに人間がちっぽけな存在なのかと気づきました。

今までの人生もこの瞬間も、バナナがすぐに黒くなっちゃうのと同じように、地球規模で見ればなにもかもが一瞬の出来事なのだ。みんな、脆弱なのだな。そう思うと、なんだか全員すこし可哀想で、可笑しさに包まれた存在なのではないかという思いが押し寄せました。

それ以来、生活の中に、ある“ひりひりとした感覚” を覚えるようになりました。砂のように、時間が手からすり抜ける感覚。見慣れたはずの自宅が、儚い星のように光って見える感覚。自分は現実を見ているようで、本当は何も見えていないのかもしれないという悲しくも新鮮な個人的リアリティ。

そんな私的な作品を、心から信頼を寄せる素晴らしいミュージシャンや、理解あるチームメンバーのおかげで完成させることができました。

この音楽が、あなたの日常にも静かに染み込んでいくことを願っています。

Maika Loubté :Instagram