アニキが作った1本のホームビデオ 「エル・マリアッチ」(El Mariachi, 1992)

アニキが作った1本のホームビデオ 「エル・マリアッチ」(El Mariachi, 1992)

1本のビデオテープから映画の観かたを教わる

「デボ、これ観てみ。薬の実験台になって稼いだ金で作ったんだってさ。自主制作だけど、すんごいよ・・・。オススメよ!」

当時、留学先であるロスアンジェルスでの数少ない友人であったタクジ(当時、映画監督志望、現在音信不通)から預かったVHSビデオテープ。「El Mariachi」とラベルに殴り書きされたその作品を観賞しながら、ふとあることに気が付いた。それは映画を観る側でなく、作る側の視点、つまりスクリーンの向こう側の視点で観賞するのも面白い!ということ。映画監督を目指しているモノ知りなタクジに、当時の僕はかなり影響されていたのだ。

ハリウッドの壁の向こうでは

1990年初頭のハリウッド映画を振り返ってみると、「ターミネーター2」(’91)「ジュラシックパーク」(’93)「フォレストガンプ」(’94)が次々と公開され、今ではすっかり当たり前になったビジュアルエフェクツ(以下、VFX)やDTS(デジタルシアターシステム)を駆使した、新しい映像表現が世に出始めた。現在のVFXの隆盛に繋がる新しい時代の始まりを目の当たりにしていたことになるのだが、もちろん当時はそんなことには無自覚で、次々と公開される本場のシネマを浴びるように観ていただけなわけで・・・。

「ジュラシックパーク」で、雨の中、車内のコップの水が震える場面、近くにいるはずのT-REXの重い音が体の奥を駆け巡ったり、「フォレストガンプ」のトム・ハンクスがJ・F・ケネディと握手をして会話をする場面は目に焼き付いていたり、今でも、何度見ても飽きない。
スピルバーグ、キャメロン、ゼメキス。(ルーカスはサンフランシスコなので別扱いで。笑)ハリウッドに君臨する王たちの趨勢に逆らうように、VFX?なにそれウマいの、といわんばかりの血気盛んなフィルムメイカーたちが出てきたのもこの頃。完全アナログ制作、おまけに低予算の作品で、王宮ハリウッドも無視ができないほどの旋風を巻き起こしたやつらだ。マンハッタンビーチでビデオ屋の店員をしていたクエンティン・タランティーノ(「パルプフィクション」’94)を筆頭に、スティーヴン・ソダーバーグ(「セックスと嘘とビデオテープ」’89)やウォン・カーウァイ(「恋する惑星」’94)、ロバート・ロドリゲス(「エル・マリアッチ」’92)など、いわばアウト・オブ・ハリウッド系(勝手にそう呼ぶことにする)。そもそも彼らは、コネなし、カネなし、クルーなし。あるのは映像への異常な偏愛だけという・・・まあコッテリ系とでも喩えようか。これら若手のフィルムメイカーたちは、その独特の演出法や意外なストーリーテリングなど、”知恵と工夫と勇気(コレ一番重要)”でザ・ハリウッド王宮の壁にドリルで大きな穴をボコボコ開けていった、というのが正しいか。

とにかく、見ているこちらも共犯者になってしまったような、そんなヤバイモノが、ハリウッドの壁の向こう側で着々と作られていた。当時のアメリカ映画界はそんな感じだった。

カネもコネもないけど、映画は作れるぜ

そんなアウト・オブ・ハリウッド系の若手の中でも、コイツはヤバイぜ、とタクジが、推してきたのが、ロバート・ロドリゲスだ。

映画制作スタッフに明るくなくても、Disney+「マンダロリアン」や「アリータ: バトル・エンジェル」の監督といえば、ピンと来る人もいるかと思う。一部の映画マニアには、「マチェーテ」のダニー・トレホを見出した男としても有名だ。そのロドリゲスを、現代のアクション映画ファンやインディペンデント系クリエイターにとっての、「アニキ的な存在」とここで勝手に言い切ってしまいたい。なぜアニキと呼びたいのか?については、この後詳しく語っていこうと思う。

ハリウッドの王様たちをいろいろな意味で唸らせたアニキ、ロドリゲス

ロドリゲスをアニキと呼ばせてもらう理由、それは彼がワイルドカウボーイの国として知られるテキサス州の出身だから、というのはもちろん冗談で、彼のデビュー作「エル・マリアッチ」(El Mariachi)、その制作と供給の過程にあるのだ。

医療検体で得た金を制作費に

映画ファンにとって「エル・マリアッチ」は、監督のロドリゲスが医療の実験に自らの体を差し出して得た7,225ドル(日本円で82万ほど)のみで制作費を捻出したことはよく知られている事実だ。国内でも近年、低予算の割に大ヒットした話題作といえば、「カメラを止めるな!」を忘れてはならないが、「エル・マリアッチ」はさらに、その3分の1以下の制作費で作られたということになる。しかも当時のPCや映像編集ソフトはインディペンデント系作家にとって、簡単に手が届くものではなかったし、デジタル編集なんていう言葉さえなかった時代。この作品がVHSテープ(英語ではVCRといった)に”ダビング”されまくり、何度もコピーを重ねて、すっかり擦り切れて劣化しているビデオテープ作品が、僕のような一塊の留学生の手に入るまでに拡散されたわけで。そう、今風に言うと、全米でバズっていたわけだ。

まずはこの映画、いや、このホームビデオムービーを観たことがない人のために、そのストーリーを簡単に紹介する。アメリカとメキシコの国境付近の街が舞台。(あ、この街は全体が当然のようにギャングに支配されていまして笑。)そこへ、仕事を探しにギターケースを持ってやってきた、黒い服のギタリスト「マリアッチ」が、同じく黒服でギターケースに目一杯の銃器を詰め込んだ、逃亡者アズルと間違われて銃撃戦に巻き込まれるという、アクションムービー。

「マリアッチ」とは?

タイトルにもなっているマリアッチとは、メキシコの居酒屋などで、ギターの音色とともに美しい民謡を歌い流すアマチュアミュージシャンたちのことで、最近ではディズニー映画「リメンバー・ミー」でも主人公が憧れるヒーロー、エルネスト・デラクルスをはじめ、ギターと歌を愛するキャラがたくさん登場している。メキシコの人々にとっては、切っても切り離せない世俗文化というわけだ。そんな庶民の娯楽を届けるはずの音楽家が、実は脱獄した殺人犯だったという立て付けは、メキシコを始めとしたスペイン語圏のホームビデオ市場でのヒットを狙った、ロドリゲスのイカしたアイデアだったのだ。しかし、残念ながら当時のスペイン語圏ではメロドラマがポピュラーであり、無名の俳優陣に無名の監督の作品は、箸にも棒にもひっかからなかったようだ。

ロドリゲス曰く、「音声と映像は自分の手でシンクロさせるとわかっていたので、セリフは極力少なくした」というフラッシュカード形式のストーリーは、医療実験の最中にひと月ほどで書き上げた。ここでプリプロと資金調達を同時並行に進めている点に注目だ。ちなみに撮影スタッフは予算の関係でロドリゲス一人だし、絵コンテは面倒くさいので描かなかったとのこと。(アニキの名誉のために付け加えると学生時代から漫画を描きまくっていたので、絵が苦手なわけでは決してないと思う)

カネがない!ならば知恵と職人技で補うのだ。

今回のエッセイを執筆するにあたり、約30年ぶりに「エル・マリアッチ」をamazon プライムで鑑賞してみて、いろいろと当時の記憶とは違っていることを発見できた。上映時間は短編15分ほどと思っていたが、堂々の81分だ。そして当時はあまり気にならなかったのだが、俳優陣のたどたどしい演技が、ものすごく気になる。要はシロウトなのだ。主役のマリアッチを演じたカルロス・ガラルドを始め、ほぼ全員が演技未経験だった。彼らに支払われたギャラは「総額」で225ドル=約2.6万円だし、セリフまわしは学生の映画同好会的なノリがあるところはご愛敬ということなのだが、刑務所の看守のおばさんや民宿の親父、バーテンなど、ほぼセリフもなく、脇を固める人物たちの能面のような表情、真っ黒い瞳から発する鋭い光につい吸い込まれる何かがあるのは確か。中米系の人々特有の魅力なのかもしれない。
制作費以外にも、様々な難題がつきものの映画制作を、一体一人でどうやって切り盛りしたのか?その辺は30年たっても、やはり気になるところなので、本人による撮影日記的な著書「ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦 (とちぎあきら訳 新宿書房)」や制作費の内訳が公開されているサイトなどを引用しながら、その舞台裏の工夫ポイントをざっくりとまとめてみた。

インディペンデント系映像作家必見!?これがあの伝説の「エル・マリアッチ」の制作費の内訳だ!

イメージ

◉ 「エル・マリアッチ」制作費

  • フィルム代  $2,329(約264,500円)
  • 現像代 $1,323(約150,250円)
  • 機材 $127(約14,420円)
  • 編集/ダビング $2,824(約320,720円)
  • 役者ギャラ $225(約25,550円)
  • ギターケース $16(約1,800円)
  • その他、録音用カセットテープ、空砲、血のり用コンドームなど $381(約43,270円)

合計 $7225(約820,540円)

◉ 撮影と編集に関する、知恵と工夫の数々

  • 俳優は基本、友人とその家族に頼む。(動物も)
  • カメラ機材などは基本、無料で借りる。
  • 銃火器は地元警察から借りた。(撃ち方の指導付き)
  • カメは道で拾った。(ポスターに出ている子)
  • 衣装や車は俳優が持参。(アクション撮影後、血みどろの車体に妻と娘をのせてニコニコと帰っていったそうだ)
  • 撮影地は主役を演じた友人の地元なので、撮影期間中は友人宅にステイ。
  • とにかく、1テイクしか撮らない。NGでもアクション映画なので、なんとかなるのでOK!(本当か?)
  • エキストラもいないので、ロングショット(全景がわかる画面)は極力撮らない。
  • 昼飯代をうかすために、俳優のシーンはなるべく午前中に撮り切る!
  • 撮り忘れや、編集時の音声とのシンクロがうまく行かない場合に挿入できるインサート映像を撮影時に撮りためておく。(実際これが作品の随所で効いている!)

ロドリゲスによるメイキング解説

そしてここからがアニキの真骨頂だ。

  • 撮影するシーン、カメラアングル、演出プランは、事前に全て頭の中で「血がでるほど」何度もシュミレーションした上で撮影に臨む。(学生時代からビデオデッキ2台でやり直しが効かない編集をしていた経験から、その習慣がついたそうだ。)
  • ロケーション場所は予め全て決めておき、無料で借りられる小道具、機材を元手にシナリオを詰める。

ちなみに、冒頭に登場する留置所も、稼働中の本物だ。撮影中は留置されている人たちに別の部屋に退いてもらったらしい。このシーンには寝ている人物がチラっと出てくるが、彼は撮影に気がつかずに普通に寝ていただけの本物の囚人とのこと。これはまず日本ではあり得ない。面白すぎるでしょ!

ロドリゲス曰く、「撮影の比率を限りなく低くするのが重要。撮影や編集作業は時間がかかる上に、フィルム代や現像代、ビデオ転送代もかかる。最大限の節約をするため撮影は1テイクのみにしました。(注:念のため、もう1テイク撮るとなると、予算は13,000ドルに膨れ上がる。)僕は綿密な計画のもと、もう1テイクの誘惑を抑えこむことで、とてつもない節約を実現できたんだ。」

映画制作に近道なし、ということが伝わると良いのだが・・・。とにかくおそろしいほど映画への情熱が伝わってくるのだ。アニキの問題解決能力、ハンパねえ。

なぜ、ロバート・ロドリゲスはアニキなのか

そんな伝説の「エル・マリアッチ」公開から30年の月日が過ぎようとしている。現在の彼はというと、相変わらず映画街道をアクセルベタ踏みで突っ走っていることが次のことからわかる。彼がライフワークとして運営している配信事業エル・レイ・ネットワーク(El Rey Network、2021年12月現在、国内では視聴できないはず!)のホームページにこんな記述がある。

This is a place where makers have direct access to television audiences. Send us cool stuff, and if we like it we’ll put it on tv. Robert started his career with zero advantages – just the $7,000 he earned by selling his body to science. We welcome makers who share that spirit to become part of El Rey Network.

「ココはフィルムメイカーが視聴者に直接アクセスできる場である。私たちが気に入りそうなクールなものを送ってくれれば喜んで放送する。ロバート(ロドリゲス)は、自らが医学の実験体となって得た7,000ドルのみ、コネもなにもなく、ゼロからキャリアをスタートした。私たちは、そんなスピリットを持つフィルムメイカーをEl Rey Networkの一員として歓迎する。」

もう、つべこべ言わずに俺に続けと。最高にカッコいいよね。ほら、アニキ!って呼びたくなるでしょ。

結局、裏側なんて知らなくても、映画は観るだけで楽しいもの。(まぁ中にはうんざりするような作品も多いけど。)しかし、一度スクリーンの裏側にまわってみて、インタビューやメイキング映像、制作日記などをチェックしながら、細かい部分を深掘りしていくと、全く違った楽しみ方や思わぬ感動があるのだ。

今をときめく、あのロドリゲスも、最初は何も持っていなかった。ただ映画作りへの熱い情熱だけがあった。何も持たずにスタートしたが、アニキの言葉を信ずるならば、計画と準備、知恵と勇気があれば、業界にコネなんかなくても映画は作れる!という道標を示してくれた。ロドリゲスの登場がインディペンデント映画史のターニングポイントとなった最大の理由はこの辺ではないかと考えている。

最後に、「エル・マリアッチ」のビデオを預けてくれたタクジについて。彼はいったいどこで何をしているのやら・・・僕にコンピュータや、ロバート・ロドリゲスを教えてくれた。そして、何より、映画という芸術のもう一つの楽しみ方を教えてくれた彼が、今も世界のどこかでカメラを回しながら元気にしていることに希望を持ちつつ。

本文:DEBO

参考文献:ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦 (とちぎあきら訳 新宿書房)

引用サイトリンク


“The movie is total art”
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People

DEBO(デボ)。秋葉原生まれ。昭和のアニメやメロドラマ、歌謡曲を浴びて育った少年時代、毎年正月になるとお年玉を握りしめ上野の映画館街でカンフーから始まりアイドル、ハリウッド映画まであらゆるジャンルの映画をハシゴする中学時代を過ごす。その後は音楽にも手を出し高校卒業後に一念発起して渡米。本場のハリウッドで見事に挫折してうなだれていたところ、監督デビューを目指す友(消息不明)とMacintoshとの出会いから、映画やデザイン、アートの見方を教わる。グラフィックデザインを生業としつつ、映像業界をこっそり底辺観測している。NPO法人ANiC理事。

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