フレディ・マーキュリーと私たちの孤独~スーパースターが傍にいると感じる瞬間
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フレディ・マーキュリーと私たちの孤独~スーパースターが傍にいると感じる瞬間

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フレディ・マーキュリーという人がいた。世界的に有名なロック・バンド、Queenのボーカルでありフロントマン。彼の印象について、2018年公開の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見るまでは漠然としたものだった。私は彼の豊かな人生ドラマについて、何も知らないまま今までの人生を生きてきてしまっていたのだ。

1991年、彼はAIDSにより音楽を奏でる歓びと苦悩を共にしてきたバンドメンバーを残してこの世を去った。私と入れ違いになってこの世界に別れを告げたフレディについて、ようやく私は今、大人になって知ることができたのだった。

そして後悔をした。歓喜もした。Queenの音楽が、まるで別世界から私だけに向けて、私という存在をくるむように、抱きしめてくれた。つい最近まで知らなかった音楽が、私にとってその時もっとも胸をゆさぶった。

フレディ・マーキュリーのことをちゃんとこの人生の中で知ることができた。そのことで頭がいっぱいになり、彼のことを、彼の最初から最後までの人生を考えるのがいつしか何よりも甘美で有意義な時間になっていった。

私は、孤独だ。なぜかというと、こうして文章を書いている時もひとりだし、何かに必死で向き合っている時もひとり、生み出すことは好きだけど、苦しくてしんどくて、うずくまってしまう。そんな時に励ましてくれる友達や家族はいても、いつもひとりぼっちだ。

この世界には自分だけしかいない、という気持ちを抱く。〝何か〟がふと私の頬を叩き、目を覚ましてベッドから飛び起き、それを掴もうと暗い部屋の中で物語を書いている時、ぬるやかな孤独が私の背中にぴったりと寄り添っているのを感じる。

名曲『Bohemian Rhapsody』を聴くと、作詞・作曲をしたフレディの中に生きる万物の渦――彼はそれを楽曲として表現するために生きている、それこそが創作欲だ――が非常にエキセントリックで、別次元に存在しているものに手を伸ばし、こちらの世界で音楽として形容しているのだ、という印象を受ける。

デザインを学んでいたフレディは芸術品に造詣が深く、彼のセンスによる創作スタンスと生み出すものたちは、バンドとして次々と成功しながらも、華やかな表舞台と隔した場所でえずくように吐き出したものたちなのだとも感じられる。

自分の内面と向き合い、耐え切れずに逃避する。パーティーを開き人間の温もりを求め、終わったあとに潜るシーツの冷たさに愕然とする。夜の長さ、昼の短さ。愛する人たちと離れたあとのわだかまったぬるい空気。

私は彼のとなりで寝ているのと同じくらい、彼に寄り添い抱き合っているのと寸分なく、フレディの孤独と苦しみを理解できる。今なら、私の生きているこの世界で、私がQueenを聴き、その音楽を愛し、彼を愛している今この瞬間なら、もうこの世にいない彼を抱きしめてあげられるのだ。

それは私だけじゃない。きっと今、生きている若者たち。日本だけじゃない、世界中で、夜の暗さに光をともしたい人たちが同じことを考えられると思う。

スマホの光は明るい。だから、希望のようにともせる。スクールカーストで、自分の位置から最高層を見上げて睨むように生きる少年。バケモノじみた社会概念の中で息ができず、体型や顔のつくりに嫌悪を覚え、拒食症になったり整形依存におちいる女性たち。お金で幸せになろうと、身体を売る少女たちの露わになった肌のひとつひとつ。都会のわずらわしさ、人間関係の複雑さ、指の先から広がっていく孤独。そういったものから逃避するために、スマホを握り、サブスクリプションで聴く曲。イヤホンから流れてくる曲――それがQueen、フレディ・マーキュリーの歌声――それは、夢じゃない。必ず、この世界のどこかで行われている「救い」であり、彼らはその時、「フレディ・マーキュリー」になっている。

私たちはフレディなのだ。この世界で生きる誰しもが、彼の孤独を知る。そして私たちは今、もう世界中のどこにもいないフレディを愛することができる。

彼は生きている、私たちが忘れないかぎり。そして今でもその歌声と姿で、私たちを愛してくれている。ステージと客席の境界線をその声で打ち消し、「一緒に歌おう」と呼びかけてくれた彼は遠く手の届かない存在なのではなく、私たちと共にあるのだ。

『The Show Must Go On』(ショーを続けなければいけない)――この曲を歌ったフレディは、祈りも虚しく病魔に身体を蝕まれ声も満足に出せない状態だった。しかし、「自分は最後まで歌を歌い続ける」という強く揺るがない意志のもとで響く歌声は、病が差す影などどこにも見当たらないと言わしめる他でもないフレディ・マーキュリーの声であり、彼の歌声としての絶対的唯一無二の美しさで圧倒させる曲となった。

フレディは誰よりも自分の孤独の正体を知っていた。何故、孤独にさいなまれるのか――自分自身を理解することに努め、その孤独を美しい楽曲に生まれ変わらせた。彼の愛するものたち、人、出会い、音楽が人生の途を築き上げ、フレディは最後までそれらに敬意を抱きながら終着点までを歩ききった。その姿はスターのようで、ただの一人の人間のようで、どちらの美しさも備えているフレディの勇敢さを、彼を愛し、今も信じて生きるQueenを、私たちは忘れてはならない。

私たちは、スターにはなれないかもしれない。命をけずって生み出したものが見向きもされない、張り上げた声が誰にも聞かれない、血の滲む努力をしても拍手や歓声は起こらないかもしれない。けれど、孤独を手放さないでほしい。その孤独は私たちのものであり、フレディのような偉大ある人のものであり、そこから篝火に散る火の粉のように、ひとつずつ、小さくても輝けるものが生まれ、いつしか道となるかもしれない。

孤独は痛む。けれどいつかちゃんと、抱きしめられる時が来る。

フレディは私たちの孤独を、自分のかつて抱いた孤独のように見つめながら歌ってくれるだろう。

“We are the champions, my friends”

友よ、私たちはチャンピオンだ

“And we’ll keep on fighting till the end”

そして、最期の時まで戦い続ける


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Ando Enu

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