失われた30年「戦後体制の本当の終わりと独立」

失われた30年「戦後体制の本当の終わりと独立」

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こんにちは、静岡県に住む某媒体社に勤める営業職のサラリーマンT.T.です。地方から、世界を考えてみたり、地方と都市の差異を考えてみたり、自分の仕事や郷土のことなど身の回りを考えてみたり、実にくだらないことや、エッチなことを考えてみたり、森羅万象、視座も高かったり低かったり長かったり短かったりする。気まぐれサラリーマンの徒然なるコラムです。

と言いながらいきなり今日は堅苦しい「戦後体制の本当の終わりと独立」についてです。現在、私39歳なのですが、物をしっかり考えるようになった10歳くらいからは、いわゆる「失われた30年」をどっぷり生きてきた人生です。昭和の足音が遠のきつつも、伝達では聞こえてきて、体感としても残っているような世代。会社でいえば、会社は家族、年功序列、株主よりも従業員的のような、昭和的な会社のイメージをもちながら、メディアから聞こえてくる、これからは、昭和的な会社はだめ、実力主義、株主を意識したコーポレートガバナンス、個人主義、イノベーションが必要というニュースが流れてきて、それらを意識し、そうしなければと感じている世代だと思います。

そんな移行期に生きてきた我々ですが、実際のところは、社会全体はスムーズに移行できず、むしろ他先進国と比較すると、賃金は上がらない、世界に名を馳せる日本企業はどんどん減り続ける、円は安くなるなど、国際的な日本のプレゼンスは落ち続け、また国内においても庶民の生活も決して豊かになってない30年だったわけです。この30年とはなんだったのか、きっとそれは戦後にあった、焼け野原からみんな頑張って、そしてみんな頑張れば、みんなが貧乏から豊かになる。という戦後の成功体験のイメージを、無いとわかっても心のどっかで求め続けた30年だったのではないでしょうか。そしてそれは妄想であり、本当に妄想であることに気づくための30年だったのではないでしょうか。

日本の戦後は、端的に言えば、国家としての独立の為に必要不可欠な自衛、国防はアメリカにあずけ、経済にのみ邁進するという、今国葬のニュースで比較検討されている吉田茂が引いた路線に沿った繁栄でした。そういう戦後日本の経済人のみの側面を「エコノミックアニマル」とか「ディズニーランド国家」など批判してきた知識人はたくさんいます。でも豊かになることはそれを差し引いても幸福なことで、そのようなことはないがしろにされてきました。しかし、経済発展の大きな要因、人口ボーナス(戦後ベビーブームなど、単純に若年層が多ければそれだけで経済発展には大きな要因となる)などがつきてきて、革新的な戦後すぐの名経営者たちもこの世をさると、独立するということも考えず、ただ前ならえの経済くらいしか考えらない人々が残され、そのままずるずる過ぎた30年だったのではないでしょうか。そしてそういう状態でも30年もあれば、また一世代、世代は変わるわけで、そういういろんな歪みが紛失しているのが失われた30年が過ぎようとしている令和という時代ではないでしょうか。

会社に人生をあずけず、個人で生き抜く風潮はつよく、転職も容易になりました。家族のために、家族を犠牲にしてまで仕事をするということもどんどんなくなっています。個人主義はどんどん強くなっています。また政治の世界では、野党は総崩れし、自民党一強の中、昨今の国家主義の再沸騰によるウクライナ戦争の影響もあってか、おそらく防衛費の増加はすんなりと決められ、憲法改正の議論もより進んでいくでしょう。人々はより個人主義が強まる一方で、国家の力もより強大に立ち上がってくることに、思いのほか民衆が反対していない状況です。そういうことが良いか悪いかと単純には考えたくなく、じっくり考えたいのですがそういう現状であることは確かだと思います。つまり、いよいよ本当に戦後が終わる時期になってきたのではないかと思います。

国家主義は戦争にも進みやすいし決して良いものではないですが、ひとつ考えることは「独立」というのは、コストはかかるが人間の尊厳、充実した生活を送るにはすごく大切なことではないか。ということです。サラリーマンの私も、仕事が一番楽しい時は、役割を与えられ、文句は言われず、その代わり結果責任を負うという、一事業の責任者として独立して主体的に仕事に取り組める時です。その時は仕事にも集中して、休みの日も仕事をかんがえてしまったりして、私生活を一部削るコストも払っていますが、充実していることは確かです。そういうことを経験すると、そうでない従属的な仕事のなんと苦痛なことか。「独立」して全部を引き受ける今の日本であれば、国防、エネルギー、食糧問題など、今まではあってあたりまえのことがそうでもなくなってくるので、それを自分で考え、それに対してコストを払う覚悟がもっと必要になっていきます。

自国ですべてまかなうか、戦略的にどの国とどう組んでこの社会を反映させていくか、そのリスクは。など。そういうことを考えると大変ですが、主体的に世界にアプローチするには効果的ではないでしょうか。こういうことを言うと暗黒の戦前にもどるというイメージもあるかもしれませんが、戦後40~50年が特異的に平和でラッキーな時代で、この資源のない島国が繁栄を謳歌するには、戦前や令和以降が通常状態なのかもしれません。いずれにせよ、戦後からの移行期も終わり新たな時代が本当にはじまっている感じがします。何を指針にするかは人それぞれですが、私は独立・主体的な社会を生きたい。そういうことが本当にできれば、諸外国がマスクをはずしているのに、そういうことも一切判断できず、人がするからという理由で、熱中症になってまでマスクをしたり、人との密な付き合いが急激になくなって、人間らしさを喪失し続けている社会に、異もとなえず粛々としたがう人々が集う社会ではなくなるような気もするのです。


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