映画『クルエラ』、ディズニー史上初めての《パンク・エンターテイメント》が誕生

  • col

lifestyle

映画『クルエラ』、ディズニー史上初めての《パンク・エンターテイメント》が誕生

《ディズニー史上最も悪名高きヴィラン》の過去

2020年、ディズニーが『101匹わんちゃん』のヴィランである《クルエラ》を主人公に実写映画を制作した。演じたのは『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンである。

今作品は、アニメ版『101匹わんちゃん』の前日譚となっている。そのため、アニメ版を知っているとより楽しめるが、未視聴の方でも充分クルエラに魅了されるに違いない。

何より、ディズニーを通ってこなかった《パンク・ロックファン》にこそ、本作は一見の価値があるだろう。

《「クルエラ」の舞台は、パンクロックが台頭していた1970年代のロンドン。そこへ、若く才能があり、聡明で創造力溢れる少女エステラがデザイナーとして成功することを夢見てやってくる。エステラは彼女の悪だくみを気に入った若き二人の泥棒と親しくなり、共にロンドンで自分たちの生き方を確立していく。エステラのファッションへの情熱は、飛び抜けて上品でとてつもなく高級なファッション界のレジェンド、バロネスの目に留まる。》


ディズニー・プラス公式より引用
©︎Disney

《ディズニー史上最も悪名高きヴィラン》と謳われているクルエラ(本名:エステラ)。『101匹わんちゃん』では、彼女は極度の毛皮愛好家のファッションデザイナーとして描かれ、ダルメシアンの子犬に猟奇的な眼を向けていた。幼少期に観て、その余りにもイカれた姿に恐怖を覚えた人も少なくないだろう。

エマ・ストーン演じる今作品では、そのクルエラの誕生秘話を描いている。高いファッション性を持つエステラが、いかにして悪に目覚めていく=クルエラに生まれ変わるのかを知ることができるのだ。

しかし、意外にも本作の魅力の最たるは、そのクルエラが放つ反骨的な《ポジティヴィティ》である。

実は本作のクルエラは、その猟奇的なオーラは薄められており、代わりに奇抜で卓越したファッション性に着目されている。毛皮愛好の気質は、その片鱗を覗かせているのみである。また、彼女の象徴的な煙管タバコも、ディズニー社の新たな規定により、喫煙シーンが一度もない。さらに、作中で使用された犬のほとんどは保護犬であるという。

ここまで大衆的で優しい作品になったのは、やはり2020年のディズニー映画である、ということが何もよりも大きい。

『JOKER』と『クルエラ』

『クルエラ』の最大の特徴は、なんと言っても作品に一貫して流れる、1960年代から1970年代のパンクロックである。作中にふんだんに鏤(ちりば)められた歴代ロックスターの引用に興奮した人は多いだろう。

そして、多くの映画レビュアーは、近年大ヒットとなったDCコミックスのヴィラン映画『JOKER』(2019年/監督:トッド・フィリップス/主演:ホアキン・フェニックス)と、本作『クルエラ』を比較している。

『JOKER』も『クルエラ』も、フィクションを現実にアプローチする手段として、音楽を効果的に使用しているからである。

『JOKER』の舞台はアメリカの架空都市《ゴッサム・シティ》、年代は明言されていないが、’70年代から’80年代前半と言われている。

『JOKER』ではフランク・シナトラを筆頭に、ジャズやラグタイムを多く引用している。作品全体に漂う雰囲気はまさしく《ジャズ》であり、アメリカ映画としてのノスタルジーを醸し出すのに充分な効果をもたらしている。

そのジャジーな作品中に、ゲイリー・グリッターの『Rock And Roll Part II』などを引用し、狂気の萌芽を悲壮的に映していると言えるだろう。

一方、『クルエラ』の舞台は’60年代から’70年代のロンドンである。そして、音楽は一貫して《パンク》と《ロック》。ローリング・ストーンズをはじめ、クイーン、ディープ・パープル、クラッシュなど、名だたる反抗的なギターサウンドが作品を彩っている。それらは『JOKER』に見え隠れする野蛮な狂気とは対照的に、単純で、大胆で、わかりやすい。

©︎Disney

その画面で華々しく活躍するエマ・ストーン。彼女の持ち前の輝きはこの作品の《ポジティヴィティ》の源泉となり、生まれたばかりの恒星のように見事に光り輝いている。

彼女の輝きは、例えばマリリン・マンソンのような虚弱さと歪さをもって世間に注目される真っ暗な輝きではなく、外向的で爛々とした明るいエネルギーの塊なのだ。彼女の豊かな表情と挙措こそが、あのロックサウンドを一括してポジディヴに響かせるのである。

《クルエラ・ド・ヴィル》(残酷な悪魔)の対照的な本名である、《エステラ》(星)という名前もそのスター性を一段と強く表しているのだろう。

自らの狂気を認めたエステラはクルエラとなり、ロンドンのファッション界をスキャンダラスに駆け上っていく。鋭利なサウンドと共に舞い踊る彼女の生き様が全て、今作品を《パンク》たらしめているのである。

《パンク》が死んだ現代で

2021年、既に《パンク》はクリシェと言われて久しい。

今作品にも計り知れない影響を与えたであろう《ヴィヴィアン・ウエストウッド》では、2016年、ヴィヴィアンとマルコム・マクラーレンの子であるジョー・コーが総額500万ポンド(約8億円)のパンク関連グッズを燃やすパフォーマンスを行なった。

「パンクはマーケティングに消費されてしまった」との抗議活動である。

また、’80年代、ヨウジヤマモトと共に「黒の衝撃」をヨーロッパに巻き起こしたコム・デ・ギャルソンの川久保玲でさえ《黒》を反骨的な色と見做さなくなり、代わりに《赤》を反骨の象徴として使用しているほどである。

《黒》と同じように《パンク》からも、その象徴としての《反骨》は薄れてしまったのだ。

本作『クルエラ』は、謂わばディズニーが贈る《パンクのカッコよさを最大限エンターテイメント化》した作品である。

ディズニーは、エマ・ストーン演じるクルエラに当時の若者の反骨的な怒りを託し、灰汁を抜いてそれを描き切り、子供から大人まで楽しめる最高のエンターテイメントに仕立て上げた。

《パンク》や《ロック》がディズニーの手により大衆的なエンターテイメントとして消費されることに、往来のパンク・ロックファンは嘆くだろうか?たしかに、《パンク》と《ディズニー》の組み合わせは禁忌中の禁忌と言える。少なくとも満場一致で賛成されることはないはずだ。

しかし、そのように思っている人にこそ、なおさら今作品を推薦したい。

何故なら、『クルエラ』こそ私のようなパンク・ロックファンが待ち望んだスキャンダラスでスペクタクルな《アイコン》だからである。

今作品では引用されなかったが、同時代のアメリカを生きたアリス・クーパーのようなエピックなロックアイコンを、ディズニーは2020年に生み出したのだ!

©︎Disney

今作品をもってクルエラは、単なる残酷な動物殺しのヴィランから、革命的な《パンク・クチュール》の体現者になった。

ヴィヴィアンに見た美しき狂気、ギャルソンに見た新しい退廃、マックイーンに見た艶やかな高慢を架空の’70年代に先取りしたクルエラは、我々がこのコロナ禍に失っていたスキャンダルの熱狂を与えてくれる!

現代社会が必要としていたのは『JOKER』ほど野蛮なヴィランではなかった。

作中で弁護士らが言う、《法的には規制できない》クルエラのアンチ・ソーシャルな活動こそ、現代の慾望を上手く切り取っていると言って良い。我々が求めていたのは《社会の常識内で歯向かう、悪すぎない、スキャンダラスな存在》であったのだ。人々を恐怖に陥れない、という我儘なヴィラン像に、本作は見事に応えている。

《パンク》が死んだ今、私たちはスキャンダラスなヒーローに飢えていないだろうか?『クルエラ』は、ディズニーが手掛ける’70年代ロンドンのパラレルワールドで、当時の熱狂を追体験できる!それだけでも本作には、当時のパンク・ロックファンから若いファンまで、誰もが観る価値があるだろう。


Text by Kenta Kawamura

HOT KEYWORD

WRITER

blazevy

BLAZEVY

SHARE

RELATED

SPECIAL CONTENTS

RECOMMEND