写真家レスリー・チャン。自然への敬意と極彩色の追憶。

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写真家レスリー・チャン。自然への敬意と極彩色の追憶。

奇跡のコラボレーション

英国ファッション雑誌DAZEDにて、シエラレオネ出身スタイリストのイブ・カマラ(Ib Kamara)と、中国出身写真家のレスリー・チャン(Leslie Zhang JiaCheng/张家诚)がコラボレーションを果たした。時代の寵児である二人とそのチームは、アフリカと中国の文化を融合し、燦爛たる彩りで披露した。

まずは今回のコラボレーションについて、レスリー・チャンのコメントを紹介する。"私にとって、黒人男性モデルを撮影するのは初めての経験です。中国社会の大部分にとって、黒人コミュニティは未だに馴染みがなく、固定観念による誤解も多く残っています。中国では、特に広州などで黒人の人口が増加していますが、彼らは他のコミュニティと一緒に生活し、働いており、彼らの生活は確実に私たちの社会構造に織り込まれています。これは、中国における多文化主義の独自の発展を示します。Le LeとHangxinという青年は、そんな旺盛なエネルギーを持つ中国の若者の典型です。特に、移民一世であるティーンエイジャーのLe Leは、広州で勢力を伸ばしているストリートウェア集団High Pointには欠かせない存在です。そして私は、自分の写真活動を通してこれを目撃し、記録することができてとても光栄に思っています。私の写真活動は、中国で成長してきた私自身の歴史であり、伝統と現代の文化的なムーヴメントの両方から吹き込まれています。そして、二人の青年も中国で育ったことでそれらの影響を目の当たりにしています。彼らがこのロマンティックに創られた中国の生活に於いて主人公となるのは美しいですね。また、重要なのは、私と同じように自国の文化から着想を得ているイブとコラボレーションできた経験です。このコラボレーションでは、お互いの文化を最大限に尊重し芸術的に表現することで実現しました。本当に感謝しています。"

──DAZED公式インスタグラム(@dazed)より。前回の私の拙稿、【伝説のクリエイティヴ集団《BUFFALO》が遺したもの】で私は「現代の多様性」における問題を提起し、イブ・カマラの名も挙げた。今回の作品ではそれらの人種問題をコラボレーションという形で昇華させている。今後、BUFFALOの魂はこのように世界各国のクリエイターが共作を為すことで広がりを見せるだろう。イブ・カマラとレスリー・チャン、今やファッションエディター界でその名を知らない者はいない。このコラボレーションは2021年に起きた奇跡のうちの一つに数えられる。今回は、写真家《レスリー・チャン》のクリエイティヴィティ(創造性)ついて、彼が影響を受けたものの中からいくつか挙げ、独自の考察を繰り広げようと思う。

写真家、レスリー・チャン。

レスリー・チャンは上海を拠点に活動する写真家である。作品はフィルムカメラのみを使用して撮影している。その作風は極めてオリジナリティが高く、中国文化をもとに、日常的なモティーフが極彩色でロマンティックに表現されている。

レスリー・チャンは1992年、江蘇省揚州で生まれ、南京市で育った。幼い頃からアートに興味を示し、中国絵画を学んだという。彼は、元々写真家を目指しておらず絵画を続けるつもりであった。しかし大学時代に、とある日本の写真家を知ることで自らのクリエイティヴィティの可能性が拓けたという。その写真家とは、植田正治と上田義彦である。

二人のUEDA

植田正治(1913年-2000年)は、鳥取生まれの写真家である。鳥取砂丘を舞台に写真を撮り続け、その独特な演出効果をもたらした写真作品は国内外で話題を呼び、Ueda-cho(植田調)として広く知られるようになった。上田義彦は(1957年-)兵庫出身の写真家である。広告写真やコマーシャルフィルムを第一線で撮り続け、最近では映画も制作している。深い色味とノスタルジックな情緒が特徴である。二人の作品はレスリー・チャンに大きく影響を与えた。彼は自分の絵画の感覚を写真に応用できると考え、2012年、大学時代から写真撮影を始めた。

@shashasha

なぜ日本の写真家だったのか?私が考える理由は以下である。西洋でのポートレイト写真は、貴族の肖像画(portrait)が根底にある。そのため、ポートレイト写真は当たり前だが、「人」を写している。これを便宜上、《「人」が集まるところに「場」が生まれる》と表現する。対して日本は《「場」が先にあり、そこに「人」が集まっていく》。これは植田正治、上田義彦の写真にも顕著に現れている。その人がどこに在るか、その「場」の空気や周囲の人物との関係性によって、対象となる人物の内面が浮き出てくる。もちろん、この感覚は欧米の写真にだって見られるだろう。但し私は、日本の風土で撮影された写真は欧米のものよりも、その「場」の空気や、繋がり、または違和感が収められてしまうと考える。そしてそれを「解釈」することが鑑賞者に委ねられている。「空気を読む」とはこのことを指す。レスリー・チャンは欧米の写真家には大きな興味を示さなかったが、2人のUeda、特に植田正治を知ったことで、写真表現における言語的な感覚が変わったという。彼が西洋の手法に頼らず、オリエンタルな写真を撮り続ける理由はここにある。

極彩色の絵画的表現

レスリー・チャンの写真の一番の特徴と云えば、その爛発した色彩表現である。彼は自らの作品をアイコニックにすべく、意識的に使用する色として「紅(あか)」と「黒」を挙げている。鮮烈なる「紅」は紛れもなく中国の代表的な色。そこに緊張を与える「黒」。その他、山水を思わせる「藍色」などの原色を基調とし、観る者は一目でレスリー・チャンの世界へと誘(いざな)われる。彼は、時間と共に退色を余儀なくされる記憶に逆らうかのように、心象風景を極彩色で飾り立てる。それにより、視覚的に一層郷愁を訴えかけるのである。

彼のライティングにも注目したい。彼の作品に頻出する「黄昏」色のライティングに、多くのシュルレアリスム画家を想起させられないだろうか?彼は、インスピレーションの根底に《バルテュス》(Balthus)の絵画による影響もあると度々話している。バルテュス(1908年-2001年)はフランスで生まれた画家である。彼の才能は、ピカソをして「20世紀で最後の巨匠」と云わしめた。古典的で神秘的なタッチに相反するように、どこか歪で不思議な日常を切り取る彼の作風はシュルレアリスムの傾向が強い。

@ Balthus

代表作をいくつか見ればわかるように、バルテュスの作品には、レスリー・チャンのライティングと同じく赤橙(あかだいだい)など、「黄昏」の色が多く使われている。あのライティングはバルテュスの色彩から来ていると解釈しても良いだろう。ちなみに、彼がモデルにしばしば持たせる「手鏡」も、バルテュスの影響である。この「黄昏」が喚起する郷愁、不安、或いは追憶は、彼のフィルム写真と相俟って、より一層画面を詩的に見せる。レスリー・チャンにとって心象の「黄昏」とは、中国の風光明媚な大自然と、幼少期の日常的な記憶にあり、そこに彼は自らのクリエイティヴィティを託したのである。そして彼の好む1980年代、1990年代の中国や香港映画などの色味と美学が融合され、彼の作風は作られた。彼は、その出自である中国の記憶を以って、影響を受けたバルテュスや植田正治らに応えたといえよう。そして、彼は作品の中に日常的な「隙」を設けている。それは時にユーモラスな生活雑貨のモティーフだったりするが、その「隙」を認識した者は、同時に己の心象風景や己自身を見つめることになる。これは、中国の古典美術である《南宋院体画》が目指した作風と通じるものがある。

院体画と自然主義

《院体画》とは、古代中国の宮廷画家による画風のことで、南宋時代に最盛期を迎えた。彼らは伝統を重視し、花鳥、山水、人物を写実的に描くことを得意としていた。そして南宋時代に描かれたものを南宋院体画と呼ぶ。その南宋院体画の代表的な画家の一人に、《馬遠》という人物がいる。レスリー・チャンは馬遠の作品もインスピレーションに使用した。英国誌LOVE MAGAZINEにて『蝶冢 Butterfly Burial』という作品を撮影した。そのワンシーンで、《層波疊浪》という単語が壁に書かれていることがわかる。これは、馬遠が遺した『十二水図』のうちの一つの画題に由来する。南宋院体画では、それまでの時代で描かれていた、天と地を遍く大画面に収める構図でなく、代わりに景色の一部を「一角」に描き、広い余白を残す構図が生み出された。また、唐の時代から描かれていた《花鳥図》も、この時代では「全体」から「折枝(せっし)」、すなわち一部分だけが描かれるようになった。全体を描き込んだ豪壮な作品ではなく、厳選された象徴的なモティーフを配置し画面を構築したのである。これにより、何を目指したのか?

それは、観察者自身の心情に重きを置き、「絵画にも詩文のような詩情を表出させる」ことを目指したのである。これを《詩画一致》という。馬遠はこれらを得意とした画家だった。

そして、レスリー・チャンの写真には見事に詩画一致が見受けらける。彼の写真作品は、時間が断絶された写真の一瞬の中に、自由自在に時間を飛翔する詩の情緒を持たせることに成功している。そのために、私たちは彼の写真を見て内省的に郷愁が湧き起こるのである。あらゆるメディアが彼を"poetic"と評するのはこれに所以する。また、彼の作品に反復的に登場しているモティーフとして、山、水、石、花、草木、鳥、魚、昆虫(とりわけカマキリやチョウ)が挙げられる。彼のソーシャルメディアWeibo(微博)やインタビューからわかるように彼は自然に対しこの上ない愛着を見せている。これらのモティーフをモデルにあてがい撮影された作品、特に花や虫に至っては、先述した花鳥図を強く想起させる。モデルは花咲く枝に留まる鳥、擬態する昆虫など、植物や自然の一部であるかのように創り込まれている。ここには、彼が嘱目の自然をどれほど慈しんでいるのかありありと見て取れるだろう。そのような自然に対してどこまでも私的で内的な観察ができる彼だからこそ、作品に普遍的な自然主義の味わいが出るのである。

そのために、彼の作品は一貫して、表面的な中国のノスタルジーの再現には留まらない。自然に対する揺るぎない愛と、人類の歴史と文化に深い敬意があり、それを現代の技術と絡めることで作品が生まれている。彼はあらゆるクリエイターにとって大切な姿勢を教えてくれるだろう。

文化のサスティナビリティ

もちろんレスリー・チャンの作品は一人で創り上げられてはいない。スタイリスト、ヘアメイクアーティスト、メイクアップアーティスト、ディレクターなど一流のチームが集まることで創られている。そして、彼らは皆、「古典に回帰する力」を疑いようもなく持っている。

中国はここ数十年、発展が著しいとレスリー・チャンは語る。それは、日本やアメリカ、ヨーロッパなどのインターネット技術による変革とは規模が違う。共産主義と資本主義、国家主義とグローバリズム、古典文化と未来技術が目まぐるしく渦巻く社会状況である。
それでもなお中国の街中には、荘重な古代の城や厳しい寺院が未だに聳えている。その強い土壌が、自然の力に敵わなかった島国の日本とは違い、自然を横目で見ながら森羅万象を鯨のように飲み込んでいく貪婪な中国文化を生んだのである。その結果、今の上海のように、超高層ビルの直ぐ隣に旧市街があるような大都市になった。環境問題で諸々の問題はあるだろうが、自国の文化の「維持」においては堅固な土壌を持っている。それが「古典に回帰する力」を育てるのである。
日本ではどうだろうか。今の日本社会に「古典に回帰する力」を育てる土壌はあるだろうか?
現に、今なおTOKYOオリンピックを開催するかどうかで議論が絶えないが、果たして国威発揚と経済振興のために一時的で表層的な熱狂を促すことは、文化の継承に繋がるのだろうか?加えて、新国立競技場もそのクオリティについて疑問視されている。予算の問題もあっただろうが、本当に文化として遺していく矜持があったのだろうか?それはサスティナブルなのだろうか?

日本には日本のやり方があるだろう。しかしそれ以前に、「古典文化を持続可能に維持していく」という価値観が必要である。あらゆる文化を建築同様スクラップ&ビルドでアップデートしていっては、日本の豊かな古典の世界は消え失せていく。古典を忘れるということは、即ち豊かな自然と人類の叡智を忘れることと同義である。
レスリー・チャンは幼少期の記憶と自然への敬意をもとに、数々のロマンティックな作品を生み出している。イブ・カマラは自身のルーツに最大限の誇りを持つことで、新しい世界のあり方を提案している。
この先、日本のルーツは日本人の手により「根(roots)絶やし」になるかもしれない。我々の世代は、歴史の証人として日本の古典文化を見守るだけでなく、持続可能な形で確実に護っていく責任がある。


文: Kenta Kawamura

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