Rick Owens × Michèle Lamy:過去を破壊し人生を創造する優しい怪物と愛しい息子(Endless Romances long for High-End Clothes by kozukario)

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Rick Owens × Michèle Lamy:過去を破壊し人生を創造する優しい怪物と愛しい息子(Endless Romances long for High-End Clothes by kozukario)

ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した「止揚 (アウフヘーベン)」という概念がある。

その意味は「あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。また、矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」とされている。

不完全を欠陥と認めることで肯定し、完全を規則的に破壊する止揚のアーティストがいる。

例えば、硬いロックキャンディが弾ける滑らかなアイスクリーム、ポッピングシャワー:止揚

リック・オウエンス (Rick Owens) 。

スキャンダラスな人生、挑発的な性的指向、規律的な反逆、会社を共同設立したミシェル・ラミー (Michele Lamy) との物語。

オウエンスの人格とそれが育まれてきた人生は、彼が自身の名を授けたブランドRick Owensの画期的なコレクション上に築かれている。

“埃”から“月光”まで、黒という色をベースとして構成された全ての、様々な要素からオウエンスは服を誕生させる。

埃は緩やかなドレープを構築し、月光は直進することを止め、歪に膨らんでいる。色にデザインをドリップしていくのがリック・オウエンスの“やり方”だ。

大胆不敵に見えるリック・オウエンスだが、彼はいつも自作を「単調」だと語っている。

ここでいう「単調」とは、斬新かつ挑戦的な音楽性を持つミュージシャン、ルー・リードの作品に準えて言えば「最小限のコードチェンジで直接的に (最大限に) 表現する」という意味だろう。

ゴシック調のディストレストの美学とクチュール程の上品さを調和させたオウエンスの作品が“単なる単調”となるのは、彼が「逸脱した破壊者」と呼ぶメゾン・マルジェラ (Maison Margiela) の服と並ぶ時くらいのはずだ。

Rick Owensに“エレガントでエレガンスである”瞬間を見出すことが出来た暁には、あのリック・オウエンスが「華やかさを持ちたい」といつも“暗々裏に”思っていることを理解することも出来る。

厳格に律された時間をスローモーションで穏やかに歪める存在

オウエンスは自身の美学を「あまりにも狭く保守的で、堅く、厳格」だと話す。

保健所で公務員として長年勤めていた父親までもが「息子の規律と決意を尊敬している」と言うのだ。

そんなオウエンスのお堅い美学のパラメータを柔らかに広げ、曖昧にし、弄るのがオウエンスの妻でありMuseであるミシェル・ラミーだ。

彼女は人間にもその他の動物にも、あるいは植物にも見える。

「言葉なくして存在はあり得ない」とマルティン・ハイデガーは言うだろうが、彼女の存在は言葉、いや、“単語”では表現できかねる。

ラミーは読解しがたい表層を帯びている。

小柄で奥深い色の肌を持っており、年齢を感じさせないエルフのような顔立ち。

圧迫感に満ちたその存在は、年齢・人種といった典型的な表現記号どころか、人間にもカテゴライズし難い「物質」それそのものである。

ミシェル・ラミーとは、肉・金属・布・骨・革、そして彼女から奏でられる足音の集合体であるのみなのだ。

リック・オウエンスとミシェル・ラミーの遭逢、双方の人生が確固なものとなり融合するまで

時を遡り、ふたりは出会う。

1990年、オウエンスは当時の彼氏、リック・カストロの紹介でロサンゼルスのLamyというアパレルブランドでパタンナーとして働くことになった。

服とは予期せぬ出会いを促す媒介者だ。

Lamyというそのブランドのオーナーこそミシェル・ラミーだった。

ラミーは、オウエンスが“産み出す”複雑かつ緻密で美しいパターンを見た。

経済産業研究所のホームページに掲載されているコラムで読んだのだが、パナソニックを一代で築き上げた“経営の神様”松下幸之助の言葉に「知られていないことは存在しないこと」というものがある。

リック・オウエンスの才能は、ラミーによって見出され、認知されたことによって当然、確実に存在していた。

オウエンスもまた、ラミーの下で働きながら「自分のブランドを立ち上げたい」といつも思っていた。

そして、時間の経過とともに、オウエンスはラミーの暖かな混沌に惹かれ、ラミーはオウエンスの優しいアナーキズムに惹かれた。

惹かれ合うオーナーとパタンナーは、一緒に仕事をするようになってから2年で不倫関係になった。やがてふたりともお互いの相手と別れ、ふたりで住んだ。

住むというか、泊まるというか、経済的に困窮していたふたりは“Fast Fuck Hotel”と呼ばれるハリウッド通り沿いの安宿を家としていた。

イギー・ポップやキース・リチャーズ、デヴィッド・ボウイといった憧れのロック・ミュージシャンに影響され、酒やドラッグに溺れる日々だったそうだ。美しい瞬間も、その刹那が問題と化し重荷になることもあった。

当時の記憶はふたりの作品に影響を与え続けている。

浄土系宗派の仏語を拝借すれば、1994年、倒産したLamyが“往生”したかのようにRick Owensは“極楽浄土”に生を授かる。

オウエンスはダウンタウンの工場で安価な生地を購入し、洗濯、染色してドレスに仕上げた。

ソフトなアースカラーのドレスだった。

当然のことながらラミーはオウエンスが初めて自作を着せた女性となる。

ラミーは、自身が経営する、広大な葡萄畑の中に佇むレストラン“Les Duex Cafes”にてオウエンスの作品を纏った。

店の常連であるハリウッドのエリート達は彼女の服に関心を注ぎ、コメントを付けた。

1996年、ニューヨーク映画批評家協会賞とボストン映画批評家協会賞の助演女優賞、シカゴ映画批評家協会賞の有望女優賞を受賞し、1997年のゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) にノミネートされるなど、女優としての勢いを加速させていたモデルで歌手、そしてカート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴもお気に入り。

こうしてリック・オウエンスの名は世渡りを始める。

場面緘黙症の孤独と、強調される愛によって産まれるアート

ミシェル・ラミーは言う。

「ある場所で生まれまた別のある場所で暮らし、足を宙に浮かべて、社会の常識にきちんとハマることが難しい人には“自分の世界を創造する”という選択肢がある」と。

彼らには、国籍や人種、宗教に関わらない、またはそのような既存の概念に帰属しない文化的で美的な価値観を自分で定義することが出来る。

場面緘黙症も然り、ラミーの言う通り“社会不適合者”であるオウエンスは、残忍さとエレガンス、ノマディズムとゴスという“創造的破壊”をラミーと共に成し遂げた。

その美学は二項対立でも善悪二元論でもなく、相反する二つの要素の“遭逢”もしくはそれらの共通項の“誕生”に成され、また、成す。

そしてリック・オウエンスは1997年、自身の名を授けたアパレルブランドRick Owensを創立。

オウエンスは深層に秘めていたオリジナルの美学を露見させ世に知らしめた。無形で、有効すぎるラミーの後ろ楯がそこにある。

「池の平和のために飛び去って行く」奥村博士同様、オウエンスも飛び立つ“若い燕”であった。

その後Rick Owensは、流行発信地として有名なロサンゼルスのメルローズ・アベニューで文字通りの“モード・ブランド”を扱っていた唯一のセレクトショップ、マックス・フィールドと独占契約を結んだ。

2002年AW、VOGUE誌の編集長アナ・ウィンターの後援を受けニューヨークにて初のショーを披露。“ファッション界のアカデミー賞”の異名を持つアメリカ・デザイナーズ・アワードで新人賞であるペリーエリス賞を受賞した。

翌年2003年、オウエンスとラミーは、拠点をロサンゼルスからパリへと移した。

共有の時間、ふたりの世界こそ“愛の巣”

2004年、ふたりは新古典主義の雰囲気を放つ堅苦しい外見の建物をアトリエ兼自宅として購入する。

その1階にはかつて第21代フランス大統領フランソワ・ミッテランがオフィスを構えていた。

建物内部は外見や過去と似ても似つかず、一見すると解体中のよう。

しかし紛れもなく完成している。オウエンスの“壊れた理想主義”と呼ばれるイデオロギーを反映したデザインだ。

壁紙が剝がれ崩れ落ちた壁も、埃にまみれたコンクリートの床も、ワイヤアルミダクトが這う天井も、その全てが意図通り“正確に”改装されている。

オウエンスは、建築にも重要性も見出している。032cのインタビューでは「衣服は建築へ通じる第一歩だ」と語っていた。

最上階はふたりだけの空間。オウエンスとラミーが初めてふたりで“作った”家具、不愛想で無骨なベッドが規則だたしく配置され、“お利口に”している。

Rick Owensは2007年から家具のコレクションを発表している。自身の名前を冠したブランドの一部として販売するようになったのはごく最近のことだ。

主となるプロデューサーはラミーである。

マットブラックの合板で作られたベッド、大理石のブルータリズムな椅子、ラクダの毛で覆われたクッションを添えたスチール・フレームのベンチ。

それらの家具は、鑑賞者に不気味で不毛な印象を与えるが、同時にじんわりと溢れる温もりも感じさせる。

“暖かさ”と“厳しさ”という両者が互いの効能を引き出しており、それはまさに具現化されたアウフヘーベン。ラミーが“産む”オウエンスとラミーの“分身”のような“もの”だ。

「彼女の世界は常に私のそれより魅力的だ」とオウエンスは言う。

オウエンスはラミーと出会った頃から彼女の世界“ラミー・ランド”の住人なのだ。

「本能と感情で行動する魅力的なスフィンクス」

オウエンスは、レトリックを用いてラミーをそう表現する。

他のデザイナーと比べれば現実的で分別があり、保守的なリック・オウエンスが、もしあの時ミシェル・ラミーと出会っていなかったとしたら? 彼を取り巻く環境は、より厳格で冷たいものになっていただろう。

「誰かが自分の人生を築く」ということはごく稀なことだ。

オウエンスとラミー、ふたりはそれぞれ個別に独自の美学を創造し確立することで、お互いの美学 (人生) を構築してきた。

違う世界から来たふたりが、同じ世界で手を取り合える確率とは一体どれくらいなのだろう。

2006年、オウエンスとラミーは結婚した。

翌年に発表したSpring 2008は、Rick Owensにしては珍しく純白だった。ジャージやウォッシュドレザーで体を包み込むのが好きな彼だが、今回は女性のシルエットを操作し、歪ませることに重点を置いた。

オーガンジーとシルクを基調としたルックはどれもスネークのようなしっとりとした“スキン”と彫刻のような“ギャザー”を特徴とし、上品かつ扇情的だった。

このコレクションのインスピレーションについてのThe New Yorkerのインタビューに、オウエンスは「私はただ、エレガントなモンスターたちのことを考えている」とだけ答えた。

コレクション披露後、オウエンスはラミーに連れられ、中華料理店Davé(ダベ)で両親とコートニー・ラヴ、それからラミーがプロモーションする、パンクやグラムに影響を受けた26歳のイギリス人デザイナー、ガレス・ピューと共に夕食をとった。

中途半端な中華料理を出すこの店は、20年以上にわたり、トップデザイナーやファッション界の有力者たちを魅了してきた。

「ちょっと怖かった。ミシェルが連れて行ってくれなかったら絶対に行かなかった。ミシェルは何も気にしていないんだ」

写真が飾られている壁を向くと、そこではカール・ラガーフェルドやレオナルド・ディカプリオ、イヴ・サンローランや若き日のオウエンスとラミーの憧れ、イギー・ポップも笑顔を浮かべている。

オウエンス一行は、入り口付近の特等席を囲んだ。

隣のテーブルには、1980年代のファッションシーンにおいて“黒の衝撃”を起こしたCOMME des GARÇONSの創設者、川久保玲がいた。オウエンスは興奮していた。

後日譚としてオウエンスは「川久保玲がいて、そのすぐ側で父とラヴが一緒にダベをやっている姿を見て、とても嬉しくなった」「私の人生は完璧だと思った」と漏らしている。

服とは予期せぬ出会いを促す媒介者だ。

Rick Owensと名付けられたその媒介者とはもはやリック・オウエンスとミシェル・ラミーがこの世に産み落とした“愛息子”。

そしてその可愛い“息子”をリック・オウエンスと共に愛で、育て、彼の人生を完璧に完成させた存在とは、彼の最愛の妻であり永遠のMuse、ミシェル・ラミーである


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