BLAZEVY(ブレイズヴィ)- 見えてないとこジャーナル

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ときめけ、踊る日常 #2「髪とたねあかし」

27歳の誕生日を迎えたその日、髪をハイトーンに染めました。髪を染めたのは実に9年ぶり。大学に入学してすぐ、18歳の時に初めて明るめの茶色に染め、あまりの似合わなさにすぐ止めました。それ以来、髪を染めるということを考えたことはありませんでした。地毛の髪色を気に入っていましたし。でも26歳の秋の夜。27歳になった時に、髪の毛を染めようと決めました。それもなるべく思い切った色に。髪を染めた後、面白いほどに会う人会う人に言われました。

「なんで金髪にしたの?」と。

私は言いました。「慕っていた先輩がみんないなくなってしまって、グレました。」
嘘です。金髪=グレるという考えがなんとも安直すぎます。年が近く仲の良かった先輩や同僚が短い間にバタバタと会社からいなくなり、心が煤けたようになってしまったのは本当ですが。

「会社への反抗です。」

これも嘘です。言ってみたかったので言ってみました。服装も髪色も自由度の高い会社で、銀髪の上司もいます。髪色を明るくしたからといって、何が会社への反抗になるのでしょう。心が煤けても変わらずキチキチと仕事をこなし、部署の細かい雑務も手を抜くことなくやりました。会社への反抗というものは、ある日突如姿を消すことでしょう。

「髪色を変えたら世間が自分をどう判断するのか、見てみたかったからです。」

嘘ではありませんが、本当の理由ではありません。
でも、髪色を変えることはある種自分を使った実験でした。人というものは初めて何かを見た最初のわずか数秒でその対象を判断する、という話を聞いたことがあります。髪を染める前の自分と、染めた後の自分。街中で交差する人々の中で、自分がどう捉えられるのかが気になりました。

面白かったのは古着屋に行った時のこと。
店員から「美容師さんですか?」と言われました。これまで、髪を染める前には一度たりとも言われたことのなかった言葉が、急に自分に降ってきたのです。髪を染めなければ、おそらくは「美容師なのか」と問われることはなかったでしょう。

「いえ、普通の会社員です。」と答えると、

「えっ」と驚かれ、髪色が示す職種への固定観念を明確に見ました。明るい髪色にしたことにより、良い意味で人から軽快に受け取られ、開けた人間だと見られている実感がありました。あるいは、瞳の奥に少しばかり半歩後ろに身を引く疑いの色を持たれる瞬間もありました。身近な方々からは金髪は好評で、友人からも上司からも、似合っているから続けたほうがいいよと言われました。こういった全ては嬉しさもありながら、どちらかと言えば奇妙で、しかし同時に世界のひみつを一つ、見つけたように思えました。

そのひみつとは、人は髪を染めても何一つ変わらない、ということです。

明るい髪になったからって、急に言葉遣いが荒々しくなることはなく、私は変わらず人に対して強く物事を言い放つことはできませんでした。瞬発力をいまだ身につけられてはおらず、弱々しくはないけれど、ガッと自分を突き通すこともできない。カラッと割り切った性格にもなれず、些細なことを思っては、立ち止まってしまう。先の店員や一般的に持つような、髪色がもたらすイメージをそのまま自分の内部にインストールすることなどできず、人間は昨日のまま、地続きにしか息はできないのです。

そもそも、変わることを期待して染めたわけではありませんし。だから、金髪にすれば人の根っこも急に金色になる、なんてことはなく、どんな髪型であろうと、人間の底に根ざすものが映し出すことをしっかりと捉える審美眼が大切なのだと、見きわめなければならないものは、もっと深く静かな場所にあるのだと、身をもって納得したのです。髪型に貴賎なし。世界が私に対して見せてくれた、そんな小さな種明かしが、なんだかとても嬉しかったのです。

そして、
「27歳こそ、なんでもできるのだと自分自身に見せるため。」

これが、正しい理由です。
なんとなく社会に慣れてきて、人生がどう進んでいくのか、確実ではないにしろ、もうぼやけてはくれない行き先に対して足元が固まり動きが鈍くなってゆく、そんな実感と恐れが26歳の私にはありました。身を固める。大きな決断を下す。結婚、転職、引越し。そういう人間の動きを目にすればするほどに、自分ではないのにまるで自分そのものが固まっていくかのように思えました。周りで吹き荒れる風によって視界が覆われ、私は一人ぽつんと立ち尽くす。カウントダウンの鐘がどこかで勝手に鳴っている。何か変化することに、少しずつ鉛のような重さと大きな反動が伴っていく。固まることが悪いことではなく、むしろ多くの喜びと共にあることは、きちんとわかっています。身近な人たちのそういった変化はただただ嬉しかったですし。

ただ、わかってはいるけれど、今はまだなんでもできると、軽々しく変化することの美しさを見つめていたい。そう思ったのです。だから、27歳になったタイミングで髪を染めようと決めました。髪を染めるという行為は、他の人にしてみたら今日の服はどれにしよう、と選ぶことと大差のないものかもしれません。しかし、私にとっては、ひとつ、ほんの少し意味を込めた行動でした。思春期の高校生が思うような、未来への憂いなんて考えもしない、青竹の如くスッと伸びた感情を淡く抱えて、軽やかに踏み切ってみようと思ったのです。

「おばあさんになった時に「私も若い頃は金髪にしてたんだよ」と言いたいから。」
悪くない理由ですね。何十年も先に、この頃の写真を誰かに見せながら懐かしみたい。その布石のため。実際、これぐらいの気持ちであることが1番嘘偽りがない答えです。

さて、最後に一つ。

「27クラブを意識して、何もかもやってしまおうと。」
これに関しては、本当でも、しかし嘘でもないです。若気とはりきって言えるほどもう若くもないくせに、若気の至りに浸る痛々しさのあまり、誰にも言ってはいませんが。

✒️ オオクラ ナオコ