町工場世代交代ものがたり。私たちの経年変化とバトンパス(富士産業)
「佐藤さん、僕ね社長になったんですよ」
蒸し暑い9月の夕暮れ。私のもとへ“社長就任の知らせ”が届きました。
電話の主は、富士産業の杉本秀樹さん。東京都葛飾区にある町工場・富士産業の3代目代表取締役社長です。
富士産業は真鍮や銅など金属素材の加工を武器に、有名アパレルブランドの什器や小物類の製造を担っています。2020年には自社ブランド「FUJIKINKO」をローンチ。金属の風合いを活かしたデザイン・プロダクトを次々と発表しています。
杉本さんに社長就任までの道のりを伺うと、「僕と先代は、親子でも親族でもない」「入社当時から継ぐ予定だった」とのこと。
25年前。当時19歳の杉本さんは “跡継ぎ候補生”でした。長いときを経て、“跡継ぎ候補生”が“3代目社長”になり、“下町の鋼材問屋”は“名だたるブランドから一目置かれる金属加工のプロフェッショナル”へと変化を遂げました。
今回は杉本秀樹さん(3代目社長/写真左)と望月麗子さん(現会長・元2代目社長/写真右)に、富士産業の経年変化についてお話を伺いました。
−杉本さんが跡を継ぐのは入社当時から決まっていたと聞きました。
望月さん:そうそう。富士産業の初代は、私の主人なんですよ。26年前に急逝して、私が2代目として会社を引き継いだの。私は主人が遺した会社をずっと続けていきたかったけど、うちには子どもがいませんでした。
でもそれなら、継いでくれる人を探して、育てればいい。だから求人広告を出したの。「跡継ぎ募集!」って(笑) それを見て来てくれたのが、当時19歳の杉本くん。
杉本さん:その広告を見た瞬間に、電撃が走りましたよ。「え!社長になれんだ!スゲー!」って(笑) 僕、子どもの頃からものづくりが大好きだったんです。ミニ四駆を作ったり、絵を描いたり。だから「好きなことをして、社長にもなれる!」と興奮しましたね。すぐに応募して、面接に行きました。
−当時の杉本さんはどんな若者でした?
望月さん:もうすごかったわよ!ピアスをじゃらじゃら着けて、長い髪の毛にパーマをかけて、日に焼けて真っ黒なのよ。サーフィン野郎って風貌だったわ(笑)ギリギリ、背広を着て、ネクタイは締めてたけど(笑)
−とがった若者ですね(笑) なぜ杉本さんを採用したんですか?
望月さん:応募者は他にもいたけれど、杉本くんが一番明るくて、ハキハキしてたんですよ。やる気と人柄の良さが伝わりましたね。
それに私、求人広告を「跡継ぎ募集」にしていたでしょう?それを見て来てくれたんだから、ただの働き手とは違う、強い信念を持っている子なんだろうなって感じたの。
実際、彼はすごく真面目に働いてくれました。「跡を継ぎたい」という意志と、仕事に対する真摯な姿勢は、25年間ずっと崩れませんでしたね。
−入社後、杉本さんはどんなお仕事を?
杉本さん:入社後2年間は、ずっと金属を切断していましたね。その頃、うちは鋼材の卸を専門にしていました。主な素材は、銅や真鍮、アルミなど。取引先から指定された金属を、指定された数量カットして、結いて納品するのが一連の流れです。
−まさに鋼材問屋、といった仕事内容ですね。
杉本さん:そうなんですよ。いやあ、でもこれが向いてなかった(笑) 金属素材は大好きだけど、切断だけをずっとやり続けるのは、僕の性格上、無理があったんです。会長(望月さん)に相談し、営業や配達もやらせてもらうようになりました。
そうそう、あの格好で営業に行くと、取引先の職人さんに「お前、TPOって知ってるか?」って怒られたりしたな…(笑)
望月さん:当時は昔堅気の職人さんも多かったしね。私からも杉本くんに「あなたはそういう身なりの営業マンから商品を買おうと思う?」って聞いたのよ。そしたら彼、「僕は買います!」って元気よく答えるんだもの(笑) でもしばらくしたらピアスも全部取って、ご覧の通りの格好になりましたよ。
−一般的な鋼材問屋は富士産業とは異なり、金属加工やデザイン・プロダクトの製造は行いませんよね?
杉本さん:そうですね。僕たちが今のようなものづくりをするようになったのは、ワケがあります。
まず鋼材問屋が扱う品物は、基本的にどこも同じです。種類や品揃えに幅はあっても、同じ金属に変わりはない。並みいる鋼材問屋の中からうちを選んでもらうには、付加価値が必要でした。そのため、次第に「バリ取り(※1)」「穴あけ」「溶接」などの加工も請け負うようになりました。
切断だけしていた頃と比べれば、確かにできることは増えました。でも結局のところ、お客さんが見るのは“単価”と“納品スピード”だけ。状況は何も変わらないんです。
僕はそれがすっごく悔しかったんですよ。このままではいつまで経っても“下請け中の下請け”から脱却できない、と。
何か策はないか考えた末、「デザインから製造まで金属加工にまつわる全てを請けよう」と決めました。金属製品を作る工場の多くは、図面さえあればキチっと作れます。しかし裏を返せば、図面がないと作れない。特にデザイン・プロダクトは、デザイナーの言葉から細かなニュアンスを汲み取り、製品に落とし込む必要があります。何度も試作品を作り、ブラッシュアップを重ねなければなりません。
デザインから携わることの難しさも承知の上、2014年からOEM(※2)をスタートしました。入社から18年が経っていました。
- ※1 金属素材を切断した際、切断面に生じるささくれ状のもの(バリ)を除去すること
- ※2 受注依頼を受けて自社で製造した製品を、依頼主のブランド名で流通させること
−銅や真鍮のエイジング加工を行うようになったのもそれから?
杉本さん:はい。時間が経つごとに異なる表情をみせる“経年変化(=エイジング)”は、金属素材の大きな魅力です。「長年使い込んだヴィンテージ感」を新品に求めるお客さんも少なくない。そのニーズに応えようと、試行錯誤の末、エイジング加工技術を習得しました。
−富士産業は真鍮の加工が得意中の得意ですね。
杉本さん:素材の特性や技術面から、真鍮の加工は特に難しいといわれています。しかし、エイジングした真鍮には、えも言われぬ美しさ、色艶、渋みがあります。だからこそ真鍮をデザイン・プロダクトに使いたいお客さんも多い。
茨の道かもしれませんが、難しい素材(真鍮や銅)に的を絞り、製造加工を請けるようになりました。
おかげさまでOEMの問い合わせも増えましたね。「町工場なのに?」と意外に思うかもしれませんが、今では女性のお客さんが約6割を占めています。
−2020年にローンチした自社ブランド「FUJIKINKO」について聞かせてください。
杉本さん:OEMをスタートし、建具から小物までたくさんのデザイン・プロダクトを手がけてきました。大手アパレルブランドの什器やアウトドアブランドの製品など、ジャンルも多岐にわたります。
でも、どんなに手をかけて、自他ともに認めるプロダクトができても、世に出ていくのは“うちに発注したお客さんの名前だけ”なんですよ。仕事は増えましたが、これでは下請けから脱却したとは言えません。
僕は“富士産業のものづくり”をこの下町から世界へと発信していきたい。その第一歩として、自社ブランド「FUJIKINKO」を立ち上げました。
−「FUJIKINKO」のプロダクトはどこかインダストリアルな雰囲気が漂っているなと感じました。
杉本さん:いずれもモチーフは工業製品ですね。工場にあるものから発想を飛ばして、デザインしています。
杉本さん:真鍮は、色味や光沢感から上品でクラシカルな印象が強いんですよ。でも異素材と組み合わせたり、モダンな要素を取り入れるとガラッとイメージが変わる。それがまた面白い。
−望月さんのアイデアで製品を作ることもありますか?
杉本さん:もちろん。2016年に発表した「銅製花器十二単」は、会長のアイデアですね。
望月さん:私、昔から生け花を習っていてね。ある日雑誌を見ていたら、竹でできた十二単の花器が紹介されてたの。これを金属で作ったら素敵だろうなと思って杉本くんに相談したら、「できます!」って作ってくれたのよ。
杉本さん:僕は、新しく何かに挑戦するときは、必ず会長と一緒にやりたいんです。どの業界でも「若手に代替わりして、先代が爪弾きになった」なんて話を聞くけれど、それは絶対に嫌なんですよね。
−ここまでお話を聞いて、お二人は好きなモノ/コトを、手に手を取り合ってかたちにしてきたんだなと感じました。
杉本さん:25年前、19歳の僕は“ものづくりが好き”という気持ちひとつで、この世界に飛び込みました。それからというもの、会長は、僕が「営業をやりたい」といえば営業を、「金属加工がやりたい」といえば加工をやらせてくれた。僕がやりたいことは、なんでも自由にやらせてくれたんです。
望月さん:だってやりたい気持ちは止められないもの(笑) 私自身、好きなことを自由にやらせてもらってきたんですよ。亡くなった主人(初代)がそういう人だったの。私が「やりたい」と言って、反対されたことなんて1度もなかった。
杉本さん:お花のお稽古もそうですよね。
望月さん:そうそう。「銅製花器十二単」が出来たとき、生け花を習っていて良かったなと思いましたね。生け花はものづくりと一緒で、発想が大切ですから。いま杉本くんが色々なものを作るようになって、改めて思いますよ。
杉本さん:やりたいことは、何だってやらせてあげる。これが富士産業のスタイルだと思うんです。だから僕もね、「ものづくりをしたい!」と飛び込んでくる若者がいれば、何でも挑戦させてあげたい。僕や会長と同じように、やりたいことをやりたいように。
望月さん:私は今から楽しみにしているのよ。19歳の頃の彼と同じような姿の若者が来たら、彼は一体どんな顔するんだろうって(笑)
最後にー
未だ家族経営の多いものづくりの現場では“親族間での事業継承”が主流です。後継者不在に悩み、廃業の道を選ぶ人も少なくありません。
しかし、これまでは当たり前とされてきた事業継承の常識も、少しずつ、着実に変わろうとしています。
斬新なプロダクトを次々と生み出す富士産業が、町工場の事業継承において新たな道しるべとなる日もそう遠くないでしょう。
(了)
取材・文/佐藤優奈
12月10日、FUJIKINKOから新たにスマホ&カード収納のミニマルバッグ「TWIST70」がリリース。糸の代わりに工業用パーツのスプリングで本革を縫い合わせた、スマートなアイテム。