「ロケ地を訪ねて」(埼玉·寄居編)
映画を観るとき、スクリーンの向こう側はもはや別世界であり、現実のこととはできるだけ思えない認識があったりする。それが例えばフィクションのおもしろさであり、日常生活を豊かにする要素の一つである。
では、映画をつくる側にいる人たちが、別世界の人たちかというと、当然そんなことはなく、むしろ、人間臭いことが多い。
今回のコラムからは、映画に出演する側の人間、すなわち俳優の一人が、どんなことを大切にして映画に関わっているかを知ることができる。
星能豊さんという俳優は物腰が柔らかく、何より情に厚い。袖触れ合っただけで友人になっていく人との縁をとても大切にする人だ。そんな彼が教えてくれるのは、作品に関わった場所や人たちへの愛情。何より、映画はつくり手だけでは成立しない、ということを教えてくれる。
今回は、少し趣向を変えて、一人の俳優がロケ地やそこで出会った人々への想いを少し紹介したいと思う。
“The movie is total art” 編集担当 辻 卓馬
文:星能 豊
撮影だったり旅行で出かけると、時間を見つけてはロケ地を巡りたくなる。撮影だけじゃなく、映画祭でもいろいろ行った。
福井、新潟、長野、栃木、群馬、山梨、神奈川、富山、岐阜、愛知、大阪、広島、福岡、島根、アメリカなどなど、各地での出会いや文化に触れたり、郷土料理や美味しいお酒がそこにはある。
演じることとは別に、その地で出会うご縁に心を躍らせることがある。何より、単なる手伝いではなく、愛情を注いでいただいていると思える出会いがある。今回は、ロケ地とそこで力を貸してくれたフィルムコミッションのエピソードを紹介したい。
俳優人生を続けるきっかけになった出会い
自分が俳優を志して、初めてインディペンデント映画の出演で訪れたのが埼玉県は大里郡 にある寄居町。
池袋から東武東上線に乗って、小川町から乗り換えて寄居へ。小川町から寄居への途中、男衾(おぶすま)という当時は読めなかった駅を通り、鉢形駅 と玉淀駅の鉄橋を渡る車窓から絶景の荒川が目に入ってくる。 「ここが脚本に登場してくる川だな」と初出演のやる気を漲らせながら寄居へ。
寄居町にはもうひとつ楽しみがあった。熊切和嘉監督の『ノン子36歳(家事手伝い)』の ロケ地であることだ。
そして、撮影には町の振興を目的に設立された【YFCヨリイフィルムコミッション】の 方々が、『ノン子36歳(家事手伝い)』のようなメジャーな映画じゃなく、自分が出演するインディペンデント映画の撮影に協力していただくことになった。
当時は泊まることなく、数日、都内から寄居に通った。忙しなく移動と撮影を繰り返す自分に、撮影合間にはおいしいごはん屋さんや、ロケ地を紹介していただいた。 せっかくいろいろな場所を紹介していただいたのに、 「ノン子のあのシーンはここだったのか」とは思ったりする余裕なんて全くなく、自分が 出演する初めてのインディペンデント映画の撮影は終わった。
それでも寄居のみなさんのあたたかさがどこか心に残っていたのだと思う。撮影が終わったあとも「今井屋」という食堂でカツ丼をごちそうしてくださったヨリイ フィルムコミッションの代表である大橋正宏さんや、エキストラなどで出演もしてくだ さった町田昌之さんや瀧澤忍さん(勝手に「寄居御三家」と呼んでいる)たちに会いに行った。
その時にも「あきちゃん」のたい焼きや、「うさぎや」のラーメン、そしてなんと『ノン 子36歳(家事手伝い)』で、坂井真紀さんと星野源さんの印象的なシーンとなったロケ地「山崎屋旅館」の、あの部屋に泊めさせていただいた。
「山崎屋旅館」は閉業し、今は取り壊されている。他にもたくさんの映画で登場する古き 良き旅館だった。
それこそ映画(写真や絵もそうだけど)は、今はなくなってしまったものを劇中に遺し、 在り続けることにできる素晴らしいものだと思う。
寄居での撮影後、自分はいくつかのインディペンデント映画に出演し、出演作が公開になると、東京での舞台挨拶にも「寄居御三家」をはじめ、寄居のみなさまがサプ ライズで観に来てくださったこともあった。しかし、そんなみなさまのご期待に添えず、俳優として鳴かず飛ばずの自分は東京から金沢に拠点を移した。
「向こうに行っても続けるんだよな?」
と大橋代表に言われた。こんな自分に期待をかけてくれるその想いに胸が熱くなったし、だから今も俳優を続けている。
交流は続き、忘年会のためだけに金沢から寄居にも行った。 「居酒屋か~む」さんでみんなで飲むと、町のいいところはもちろん、こうなるといいのにとか、町の歴史や文化を知るきっかけにもなった。
「居酒屋か~む」のご夫妻は結婚写真をあの特撮現場で撮影している。
映画はつくり手の気持ちだけでは成立しない
ところで、金沢も風光明媚なスポットが多く、映画撮影で東京から撮影隊やロケハンでス タッフが来たりする。 ある日、僕のところに「○○さんから聞いたのですが」とSNSを通じて連絡がきた。金沢 の良いところを全力で紹介しようと張り切り、いろいろと話を聞くも、ロケ地紹介に加え て金沢のオーディションの人の集まりが悪いので協力してほしいのだという。 それはもちろん俳優をやっているという自分に対するオファーではなく、どう答えていい か困った。以降、連絡はなく、撮影も終わったのかどうかもわからない。
別の出演映画の撮影のときに、制作スタッフの方にその話をした。 すると、「ロケ地とか探すだけ探させて、連絡とかもいきなり途絶える」ことはよくある らしい。で、後から出演者が「金沢は最高のロケ地でした」なんてインタビューで答えて たりする。なんだか複雑な心境になると残念そうに語った顔が忘れられない。作品を少しでもたくさんの人に見てもらうことは大切だ。 しかし、そのために影で残念な思いをさせてしまっている現実もある。 ひょっとしたら、自分もスタッフや関係者のみなさまに迷惑をかけていたのかもしれな い。作品を撮り終えたから終わり、ではなくて、その後もロケ地を訪ねる。そうして交流を続 けていくことが大切だし、小さいかもしれないが、それが恩返しになるのではと思う。
日本でも様々な場所で映画やドラマなどが撮影されている。 しかし、そこには当然のように人の生活があり、そこにお邪魔している、という気持ちが なければいけないと思う。 映画というメディアに映るのだから多少のことは、、、みたいな姿勢ではいけない。 地方(って言い方はしたくないけど)で映画を撮るというのは、人との交流、その積み重 ねがよりよい作品をつくる礎になっていくのではないかと信じている。
今はコロナウィルスで容易には移動したり、気軽に人と会えなくなっている。 今でももちろんSNSなどを通じて、お互いの近況を知ったり交流は続いている。これを書いている今も、「馬場煎餅本舗」のお煎餅や「秩父屋」の豚の味噌漬けなど、寄居の名産が御三家より届く。
「居酒屋か~む」から送られてきた寄居蜜柑ビールは美味しかった。ここで密かに、いや公言して、寄居蜜柑ビールのCMに出演したいと伝えておきます!もちろん撮影は寄居で。
書いていたら会いたくなってきた。また、いつか、ロケ地を訪ねよう。
文:星能 豊