星野源とヒグチアイの音楽から考える、現代における他者との関係
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それぞれの姓を変えずに結婚できる選択的夫婦別姓。日本ではまだ法制化されておらず、女性の約96%が結婚後に改姓をしている。
そんな状況を変えるべく、いま若者たちがSNSを中心に声を上げ始めている。TBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』でも、主人公たち夫婦が選択的夫婦別姓について会話するシーンが登場したりなど、現代のトピックスとして挙げられることも増えてきた。
これからの時代に、より自由なパートナーシップの在り方を推進していくべきだとされる中で、アーティストたちも音楽を通して「型にとらわれないつながり」を歌った楽曲を発表している。『逃げるは恥だが役に立つ』で夫・津崎平匡(ひらまさ)役を演じたシンガーソングライターの星野源もそのひとりだ。
「幼い頃の記憶 今夜食べたいもの
何もかもが違う
なのになぜ側にいたいの
他人だけにあるもの
“好き”を持った日々を ありのままで
文字にできるなら 気が済むのにな」
―『不思議』より
「出会いに意味などないけれど
血の色 形も違うけれど
いつまでも側にいることが
できたらいいだろうな」
―『Family Song』より
星野源が歌うこれらの曲の歌詞は、「愛し合う者同士であっても、彼らあるいは私たちは他人である」ということを強調している。一見、ドライな言葉に見受けられるかもしれないが、他人同士だからこそ思い合えること、生まれや性格が違うからこそ見えてくることなど、他人同士がパートナーシップを結ぶことの「真実」を映し出した言葉だといえる。
人と人の距離において、離れているとも近くなったともいえる現代。個が強調され、ひとりひとりのアイデンティティがより明確に見えるようになった今だからこそ、人々は他人との関係を構築し、人生を「ほかの誰か」と歩みたいと願うのかもしれない。そんな時、星野源の楽曲は「ふたりがふたりのままで、違っていていい」と歌う。交わり合うことを強制しない。個を、アイデンティティを守ってくれるのだ。そうして「ふたり」のままで結ばれる関係に、彼は美しさを見出している。前述した選択的夫婦別姓の考え方と繋げてみれば、ひとつの型にはまらないパートナーシップの多様性を未来に据えて歌われているとも考えられる。
これからの未来において、個を尊重するということはグループとしての自由な在り方を左右することになりえる。星野源の楽曲は、人が自然に他者と過ごし、生きていくためのメソッドを優しく気づかせてくれる。本来、私たちがどうやって他者と向き合い、生きていけばいいのかということを、飾らない言葉で伝えてくれるのが彼の音楽なのだ。
同じくシンガーソングライターのヒグチアイが4月16日に発表したデジタルシングル『縁』も、タイトルの通り「人と人との縁」について歌われた楽曲であり、こんな歌詞が登場する。
「素直になれないわたしたちは
諦めることを覚えた
このまま向かい合わずに
隣で同じ景色見ようよ」
「あなたといたいから
わたしは離れた
いつまでも背中ごしの景色
見ていたいよ」
―『縁』より
これらの歌詞から想像できる「わたし」と「あなた」の関係は、おそらくいちど向き合ってみたものの、互いの個を尊重すべきという結論に至り、結果的に離れた、というものだろう。しかし、互いを愛している気持ちは変わらない。たとえ「同じ景色」を「向かい合わず」に見たとしても、同じ空の色や風の心地よさに心動かされる関係なのだということが分かる。
ヒグチアイが『縁』で歌ったパートナーシップもまた、今の時代に生きる人々を勇気づけるものであり、ままならなさも含めて「他者と一緒にいること」を選んだ人たちにおける、心の支えになることはいうまでもない。こうした楽曲が存在することは、今を懸命に生きる、さまざまな理由を抱きパートナーシップを結んだ――あるいはこれから結ぶ、すべての人たちの足掛かりとなるだろうし、星野源と同様に未来のビジョンにバトンを託すための助走的な一曲と捉えることもできる。
「あなたがいたから
わたしがいるのよ
わたしがいたから
あなたがいるのよ
それだけは混じりっけない
事実 事実だから」
ー『縁』より
人のあいだに生まれる「縁」は頑なだ。したたかで、けれどしなやかで、どんな形にもなれる。そして、なかなか切り離せない。濁流に飲み込まれそうになる感覚を覚える目まぐるしい現代においては、握る手があったほうが頼もしい。しかし、誰かと共にいることで自分自身をかき消してしまうことは悲しい。
『縁』の形は人それぞれだ。『不思議』かもしれないけれど、それこそが本当の姿であり、もっとも自然である。
ふたりのアーティストが語った「他者と自分の結び方」。より柔軟に、自由に、本来の生き方で誰かと人生を歩めれば、解放された生の中で循環する幸せはかけがえのないものになっていくだろう。
すべての人が、自分だけの在り方で「自分とは違う」他者との関係を構築できるようになる未来を想像し、願いながら日々を生きていきたい。