リアリストAlex Mullinsのシュルレアリスムを想望する日々
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AW19を最後にアレックス・ムリンズ(Alex Mullins)はコレクションを発表していない。
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生だった頃からブランドを設立した2014年以降の5年間、AW19まで、アレックス・ムリンズのコレクションはどれも“夢”(睡眠時に見る不条理なあれ)のように鮮やかなのだ。
私は彼の“夢”を見れば、“退屈(現実)”から逃避できる。
現実主義者のための超現実主義
「脳は起きているが身体は眠っている状態」であるレム睡眠時、脳は、前日までの記憶を取捨選択する。その情報処理中に記憶を継ぎ接ぎ精製されたノイズが“夢”である。極めて現実的で、夢のない話だが。
つまり、夢の素材は記憶である。精神科医ジークムント・フロイトによると、夢となる記憶の選択方法は意識的なものではなく、無意識的である。
夢は、一見すると奇妙で不条理であるが、各々の記憶を一つの物語として連結させている。つまり夢は、無意識に基づいた統合性を備えている。
記憶を一連にしたものが夢であり、その記憶同士の共通点の正体が“願望”であるとフロイトは解釈した。更に、それによって構成される夢の殆どが本人の潜在的な願望を充足させると考えた。夢は、無意識による自己表現である。
フロイトの精神分析における「夢の世界と現実の世界」「睡眠状態と覚醒状態の関係」を思想基盤として、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した文学・芸術運動をシュルレアリスムという。
日本語では超現実主義という。現実を超越するということだ。
私は、そのシュルレアリスムを、現実逃避の手段としているのかもしれない。
これは私に限ったことではなく、思い返してみれば誰でもそうであろう。
夢想の世界をドローイングすることやフィクションの物語への没入など、全ては現実あるいは退屈から逃れるため、無意識にシュルレアリスムを手段としている。
旅や放浪といった空間の変更、そして時間の変更も、それらは間違いなく現実世界での行為であるが、同時に現実から逃げるための行為であり、結果として、現実を超えた行為である。
現実を二度見すれば見えてくる超現実世界
Alex Mullins AW18で散見された歪んだ衣服は、アレックス・ムリンズ本人によって「ダブルテイク・シュルレアリスム」と呼ばれている。
ダブルテイクとは二度見である。
見過ごした後で一瞬遅れて驚くその仕草。我々は、見終わってから“夢”に違和感を抱く。
現実世界のあらゆるものをインスピレーション源とするムリンズは、その全てを意識的あるいは無意識的に二度見することで、再考、そして再構築する。
例えば、AW19のイエロー・モヘアのスカーフは、深夜にタクシーから降りてきた女性がイエローのスカーフを巻いていたのを目撃したことから着想を得たもの。彼はその女性をダブルテイクした。
女性が首に巻いているそれは、実際には彼女自身の髪の毛であったのだ。
つまり彼は、金髪をイエローのスカーフに見間違えた。首に巻かれるべきものはスカーフであり、言い換えれば彼女の首に巻かれているものが、イエローの、美しいスカーフであって欲しいと思うこと。
このような、現実世界における視覚的誤認と歪んだ現実、快楽原則別名願望、そしてイマジネーションが彼の手によって服となる。
ムリンズの両親はインテリアデザイナーで、彼は図鑑が沢山ある家で育ったそうだ。
彼にとって、写真、ドローイング、彫刻は青春の一部だったという。視覚的なメカニズムで形成された彼の心や頭の中では、言葉よりもイメージが先行する。言葉を発する前から世界を想像していたに違いない。
だからアレックス・ムリンズは、抽象的でありながら直接的なデザイン手法を用いる。
雨の中でバスを待つという退屈:贅沢
Alex Mullins AW16。
カット、テクスチャー、カラーなど、全ての現実が歪んでいる。
伸びたラペル、必要以上に追加されたレイヤーやポケットにリベット、シルエットも捻じれまくっているのに、普遍的なパターンをベースにして作られたように見える。
そのため、どのアイテムも「通常の服の歪んだバージョン」という印象だった。
このコレクションは「雨の中でバスを待つ」という“退屈”な経験をしたアレックス・ムリンズによって、その“退屈(現実)”が見せる“夢”と夢で動く“イマジネーション”でデザインされている。
雨の中でバスを待ったことがありますか?
…
退屈ですよね。
雨の中でバスを待っていると、濡れたり、イライラしたり、他にすることがないから気の遠くなるようなことを考えすぎたりする。
彼はその“退屈”について「雨の中でバスを待つ、という行為にロマンを感じた」と話した。現実主義的な彼、の、この言葉は、デザインをより一層の高次元へと引き上げる。まさにシュルレアリスムである。
あまりにも退屈に感じたアレックス・ムリンズは、周りを見渡してみたそうだ。近くに男がいて「やばい、雨が似合うな」と思った。しかし次の瞬間、水も滴るその顔中で男の髪の毛が動き出したような気がした。
「ちょっと待って…」と思わず口にした。
本当に疲れていて、トリップしているのではないかと思う瞬間が、あなたにもあるでしょう?
例えば、徹夜明けに何かが起こるのを待っている時(あるいは単に終わるのを待っている時)。
一枚の布を長時間見つめていると、分子が存在し始めて、パターンを形成しているように見える。10秒後、瞬きをすればその刹那、目の前の一枚のキャラコが「人生よりも大きなもの」に変身していた10秒間の短い白昼夢から目覚める。
退屈。最近では、それを「贅沢」と呼ぶそうです。それは、目の前に聳える合理的な現実を見つめ、そこから滲む幻想に存在するだけのものからインスピレーションを得るための空間と時間を持つことだから。
オーバーサイズのジャケットを羽織る時、そのジャケットが動き出す時がある。
「もしかしたらこのジャケットは、実際は大きいわけではないのかもいれない。服が私の体温で溶けて、私の形になっているのかもしれない」
そんなことを考えながらアレックス・ムリンズは服を作る。
雨や雨を眺める時間、暗くて早い夜、それらにあなたが捉われることで生まれる退屈。その退屈が見せてくれる夢。
そして夢を原動力とするイマジネーション。
チャンキーなジャケットや裂けたり縮んだりしたデニム、大きくて包み込むようなオーバーコートには、彼のそれらが映し出されていた。
リアリストとイマジネーション、現実も夢も、資産であるということ
本能的にイメージや生地を集め、そこから生まれる物語にとても敏感なムリンズ。
例えば、ザラザラとした感覚を求めていたり、逆に流動的な感覚を求めていたりする場合は、作品を整理するキュレーターのように、腑に落ちるまでその感覚を適切に表現するようにしているそうだ。
また、夢は彼のイマジネーションに直接影響する。
夢においては必ずしも重力や既存の世界の合理性に左右されない場所に存在することができる。何が起こってもおかしくない夢の世界は、大きな自由を感じさせてくれる。これは、私が眠ることが好きな理由のひとつでもある。
重厚なダスターコートが人気だった2012年の冬、学生だったムリンズは、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのランウェイにて、凍えた街を歩くのに最適な、着膨れした、ロングのウールコート・シリーズを発表した。
ウールコートを引き延ばすことは、ダスターコートを重圧にするよりも“大幅に”現実的であった。
インタビュアーから「次は何をしたいですか?ブランドを本格的に始動させるつもりですか?」という質問を投げかけられたムリンズは「そうだね。問題は、お金がないと始められないということ」と答えた。
「まずは、ミュージシャンやプロダクトデザイナーなど、さまざまなアーティストとコラボレーションしていきたいと思っています。そうすれば、自分のレーベルにもっとお金をかけられるようになる」
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業したアレックス・ムリンズは、 Alexander McQueen,、Diane von Furstenberg、Jeremy Scottt,、Kanye West、Dirk Bikkembergsなどの名立たるアーティストの下で経験を積んだ後、British Fashion Concilの支援を受けて2014年に自身のブランドを立ち上げた。
事業計画を何度も立て、生地や機械、スペースを友人たちから貸りながら、お金を稼ぐためにできる限りの仕事をしたという。この男は、どこまでもリアリストである。
そして「イマジネーションこそが自身の資産」だと、まるでシュルレアリストであるかのように話す。「自分の考えに耳を傾け、それを人に伝えるための手段を開発し、相手に正確に理解してもらうことが重要」だと。
イマジネーション、誰もがそのような強さを持っているわけではない。
アレックス・ムリンズがイマジネーションを伝えるための手段とする服、それがファッションになるのは、ランウェイで人間的な次元を獲得してからだろう。
ファッションとは、デザイナーのイマジネーションを反映したものであり、コミュニケーションのためのツールであり、人々と共有し、帰属意識を与えるものである。
そしてファッションとは、自分を超えることつまり現実を超えること、ビジョンを形にすること、自分を投影することだ。
眠り、夢を見る、そして目を覚ます、という夢を見る
「AW19のショーがとても楽しかったので、少し時間をとって、この6年間の自分の活動を振り返り、感謝したいと思いました」
2019年11月にそう言ったアレックス・ムリンズは、2021年5月になった今でも、AW19を最後としてコレクションを発表していない。
彼には、何かを証明しなければならないとか、エゴを満足させなければならないとか、何かをもう一度言わなければならないとかいう焦りはない。
ただ、リアリストであるが故に、時代遅れで飽和状態のファッションシステムのルールに従わなければならないというプレッシャーだけは感じていて、ブランド設立以降ずっとそれに従っていた。
3分間のショーや1回しか使えないサンプルに大金を注ぎ込んだ。
再販できないものや、カスタム・ファブリック、素晴らしいデジタルプリントの端切れなど、蓋を開ければ“無駄”となってしまった夢やイマジネーションばかりが散乱している。現実と闘いながら自分が生み出しているものは多くの“無駄”。
アレックス・ムリンズはまるで、回し車の中を駆け回るハムスターだった。
サルトリアリズムとカウンターカルチャー、合理性と創造性といった極性によって際立つ彼のファッション。
現実と夢。現実は無限のインスピレーション源となり、夢はヒエラルキーや時間をもフラットにする。
駆け回ることを休み、現実という箱の中で眠っているハムスターは今、どんな夢を見ているのだろう。
さぞかし退屈に違いない。退屈に縛られ、贅沢の悦に浸ったアレックス・ムリンズが次に披露するイマジネーションあるいは夢、私は首を長くしてそれを待っている。
「Alex Mullinsでトリップしたいな」という夢(願望)を見る私は、瞬きをしてその刹那、その日がいつになるかわからないこと、来ないかもしれないことを思い出す。
リアリストである。