性別のあいまいな人魚は、女性に恋をするか?King gnu『泡』を童話『人魚姫』とともに考える

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性別のあいまいな人魚は、女性に恋をするか?King gnu『泡』を童話『人魚姫』とともに考える

King Gnuが、また新たな音楽を創造した。

2021年3月5日にリリースされ、配信がスタートした新曲『泡』。心臓の鼓動音をBPMに、イコライザーを通したテクノボイスで紡がれる物語は、ひとりの女性に想い焦がれ泡となる男の運命だ。

King Gnu – 泡
King Gnu official YouTube channel

筆者は本作を聴いたとき、真っ先に童話『人魚姫』を思い出した。古典的なストーリーは今、King Gnuの掌中で新しい時代を迎え、古くからの価値観を脱却し新しく生まれ変わって顕現した。

本稿では『泡』が『人魚姫』をベースにしている、という前提をふまえ、楽曲の抱くメッセージがいかに斬新か、そしてKing Gnuの真骨頂ともいえる音楽表現の妙についても紐解いていきたい。

まずは楽曲の主幹的な部分について、上述したように童話『人魚姫』がベースになっていると考えて話を進めていく。

改めて『人魚姫』の顛末を説明すると、人間の王子に恋をした人魚が、魔女との取引により己の声と引き換えに足を手に入れ、彼の元に会いに行くもその恋は叶わず、海に身を投げて泡となる、というストーリーだ。悲劇的恋愛――実際、悲劇的な結末には及ばないのだが、多くの人に認知されている実態としてはこう言及するのが妥当か――を描いた童話として最たる例に挙げられる物語だが、その根底には人魚姫(女性)が想い焦がれる王子(男性)という、古くからラブストーリーとして慣例・儀式化された図式が成立している、ということを念頭に置いて論じていきたい。

King Gnuの『泡』のMVでは、俳優の森山未來が物語の主人公を演じている。ボトムスを履いた足が人魚の尾ひれのように見え、身をよじりながら水中を踊るシーンに続いて、海から上がり砂浜で想い人である女性に頭を垂れ祈るシーンで終わる。

“あなたは今も

どこかで元気ですか?

あの夏の匂い

仄かに歯がゆい

いつしか夢中で

追いかけてたのは影”

歌詞からもわかるように、彼は彼女に身も心も捧げて恋をしている。いつしか追いかけていたのが彼女の分身である影、と分かりながらも、祈りを止められない切なる感情が森山未來の身体によって痛烈に歌われている。巧みな身体表現が魅せられたMVは、彼が際立って限られた性別であることを強調するのではなく、「男性でも女性でもない」ジェンダーレスに近い存在であることを観客に訴えかけてくる。

そんな存在が作中で「泡」となる主人公=人魚姫であること、意中の女性に対し執着ともいえる感情を抱いていることは、『人魚姫』で描かれたクラシックな恋愛観における図式――女性が男性にロマンティックな恋をする――を脱却し、全く新しい構造を成立させているといえるのではないだろうか。

多様性を帯びた現実に沿い、リアリティの内包した恋愛の形を提唱するというKing Gnuの試みは、『The hole』という楽曲のMVにも見て取ることができる。こちらはひとりの女性とふたりの男性の間に存在する愛を描くことにより、楽曲の本質的な部分である傷口というテーマに深くアプローチした作品となっている。

King Gnuはこうして、現代人が抱く愛の形は不定形であること、きわめて曖昧であることを作品として描き、古くから常習されている図式を脱することにより、人々が今の時代で自由に生きられるための「呼吸」のような音楽を差し出しているのだ。

また、本作は『人魚姫』という作品を通してみると新たな気づきが得られるように作られた楽曲だともいえる。『人魚姫』のストーリーに合わせた音楽における演出の部分だ。

King Gnuの楽曲はネイキッドである。Vo.の井口理が表現する歌声には「諦観」や「やさしさ」が透けて見えているし、メンバーそれぞれの表現にはどんな場面でもはっとさせられる「真意」がある。不純物の入る余地を残さない、完全体で交じり気のない音楽からは、彼らが剥き身で音楽と向き合っていることが伝わってくる。

しかし、本作『泡』の最も特徴的な部分といえば、その歌声だ。従来になく加工され、機械的な音声として出力されたコーラスには、例えていうのなら裸体に鱗を身にまとったような、観客と歌声の間に1枚のレイヤーを介している、という感覚を得る。敢えて肉声から距離を取ったこの手法は、King Gnuが見つけた新境地なのではないだろうか。

人魚姫は恋に溺れ、声を失った。もしかするとこれは海底に沈んだ「失われた声」なのかもしれない。「声」が「声」として顕在しない、そのことを機械に通した声で表現しているのではないだろうか。

相対するように、楽曲中で極めて身体性を感じる部分というのが、楽曲のビートを担っている心臓の鼓動だ。これを、歌声に代わるネイキッドな部分、と考えてみたい。人魚姫が恋をして、逸る心臓の音。美しい声を失ってもなお恋に生きた人魚姫の暗喩ともとれ、洗練された粋な演出だ。 

声を失い、残ったのは心臓の鼓動だけ。そうして恋をした相手が、自分自身が、どんな性別であれ、どんな人間であれかまわない。そこにあるのは確かに恋であり、すべてが泡に変わり消えていく。

刹那による淋しさを閉じ込め、一時の祈りを、夢中を美しく痛ましく描いたKing Gnu『泡』。

常に尖った作品を音楽空間に放ち続けている彼らのディスコグラフィに1枚、また傑作が増えた。時代を穿つ斬新さが再び示された本作を、ぜひ繰り返し聴いて世界観に没入してほしい。


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Ando Enu

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