村上春樹、3月のある晴れた朝に100パーセントのTシャツに出会うことについて (試される運命と必然な運命)
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「僕が人生においておこなったあらゆる投資の中で、それは間違いなく最良のものだったと言えるだろう」
村上春樹がそこまで言う「最良の投資対象」とは… まさかの「Tシャツ」だ。
Tシャツ愛好家の村上春樹は、Tシャツを巡る18篇のエピソードと108枚のお気に入りTシャツを掲載した『村上T 僕の愛したTシャツたち』(2020) という私物のTシャツ紹介エッセイを2020年に出版している。その冒頭に、この冒頭の文章がある。
本作まえがきにてまず紹介されるのは「“TONY” TAKITANI」と身元不明の人物の名前 (というか人物の名前なのかも不明) が書かれた黄色のTシャツ。ハワイのリサイクルショップで1ドルくらいで買ったそうだ。
村上春樹はたったの1ドルで購入したこのTシャツの主人公「“TONY” TAKITANI」の人物像を想像して小説『トニー滝谷』(1990) を執筆、それが映画化 (2005) までされてしまった。
村上春樹にとってその黄色のTシャツはまさに「最良の投資」となった。特別配当かよ、とツッコミたくなる。
村上春樹はTシャツについて「つい集まってしまった」と話す。どうしたら108枚も、それもお気に入りだけで108枚も「つい集まってくる」のだろうかと思う。
しかし、村上春樹という人間と村上春樹作品を鑑みれば、村上春樹とTシャツを繋ぐ不思議な“縁”が見えてくる。
村上春樹とTシャツはまるで“衣服”と“縁飾り”にように互いを構成し合っているのだ。
愛好家にとって特別であり続けるマーロン・ブランドと白いTシャツ
Tシャツが普段着として着られるようになったのはつい最近、20世紀後半のこと。もともと19世紀から20世紀半ばにかけて、Tシャツは下着とされていた。
Tシャツが普段着に成り上がったきっかけは1951年。アメリカ映画『欲望という名の電車 (A Streetcar Named Desire)』にて、マーロン・ブランド (Marlon Brando) が“下着”を“普段着”として着こなす様を受け、Tシャツは流行し始め、ファッション・アイテムとなっていく。
その後マーロンは、反社会的として上映を禁止された映画『乱暴者 (The Wild One)』(1953) において、黒い縁飾りの付いたクルーネックTシャツの上にライダースジャケットを乱暴に羽織り、これまた当時社会現象となるほど大流行していたブルージーンズを合わせたアンチモラル的かつヒロイズムなスタイルを披露。
ハーレーダビッドソンのオートバイに跨る“アンチ・ヒーロー”の姿を見た世界中の若者が、そのスタイルを真似るようになる。エルヴィス・プレスリーやビートルズもその若者たちの中のひとりだった。
それまで“下着”のまま外に出ることは当然「恥ずかしいこと」であったが、それを巧く使ったアウトサイダーなスタイルとして若年層の間でブレイクしたのだ。
村上春樹は、1981年に公開されたハリウッドサーフィン映画『ビッグ・ウェンズデー (Big Wednesday)』(1978) に登場する架空のサーフボードブランド「ベアーサーフボード」 (1986年にジョージ藤沢とランディー・ラリックの手によって、実在のブランドとなる) の白いTシャツを“実際に”持っているという。
自身がDJをつとめる音楽番組「村上RADIO」において「あまりぱりっとした新品では様にならないし、かといってくたっとしすぎていてもみっともない」と、その白いTシャツについて話していた村上春樹。
そして「あれって、やはりマーロン・ブランドとかジェームズ・ディーンじゃないと決まらないかもしれません」などと言及していた。
Tシャツ通の村上春樹にとって、やはりマーロン・ブランドは特別な存在であるはずだ。
村上春樹もCOMME des GARÇONSも、ワン・アンド・オンリーだと思う
「村上RADIO」といえば、マガジンハウスの女性誌、ananに1年間 (2000年3月17日号 – 2001年3月3日号) 連載されたコラムを加筆修正してまとめたエッセイ集『村上ラヂオ』(2001) シリーズに纏わるTシャツのエピソードもある。
挿絵となっていた大橋歩の銅版画が、通称をコムコムとされているCOMME des GARÇONS COMME des GARÇONS (コムデギャルソン・コムデギャルソン) のTシャツに採用されたのだ。
テキスタイルの絵と、原画が保存されている三重県立美術館カタログから川久保玲が選んだ『村上ラヂオ』の挿絵がプリントされた。
1987年に出版したエッセイ『日出る国の工場』では「デザインは川久保玲さんが一人で全部こなす。蜂の巣でいえば女王蜂、ワン・アンド・オンリー (唯一無二) のセクションである」などとギャルソンを語っていた村上春樹だが、そのデザインを構成するひとつのセクションとなってしまった。
『Norwegian Wood』且つ「Knowing she would」
そういえば、村上春樹著『ノルウェイの森』(1987) を読んでいて「ギャルソン?」と思った点がある。
『ノルウェイの森』にて主人公の「僕」が、大学2年の秋のある日曜日 (1969年10月頃) 、同級生の女子大生「緑」に誘われ彼女の家に昼食を食べに行くという場面がある。
その日、緑は、ビートルズが設立したアップル・コア (Apple Corps) のレコードレーベル、アップル・レコード (Apple Records) のリンゴのマークが大きく印刷されたネイビー・ブルーのTシャツを着ていた。
作中にはビートルズの曲が何作も登場するし、そもそも『ノルウェイの森』というタイトルからしてビートルズを引用していることは明らか。(ビートルズの楽曲に『ノルウェーの森 (Norwegian Wood)』(1965) がある)
しかし、例えば「青いリンゴ」とか「“緑”のリンゴ」とか、別にその程度の描写でよかったのにわざとらしく「アップル・レコードのリンゴのTシャツ」なんて書いてある。
ここで私は「ギャルソン?」と思った。
ビートルズも村上春樹も、オノ・ヨーコをも誘惑した禁断の果実
だって「アップル・レコードのリンゴのTシャツ」と言われたら、誰もがThe Beatles COMME des GARÇONSのTシャツを思い描くでしょ。
しかもTシャツのみならず、The Beatles COMME des GARÇONSのアイテムは、ポール・マッカートニー (Paul McCartney) が所有するシュルレアリスム画家ルネ・マグリット (René Magritte) の青いリンゴの絵をヒントとしているアップル・レコードのリンゴマークをモチーフとしたものが多い。
そのThe Beatles COMME des GARÇONSは、故ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコからの呼びかけを契機に2009年に創設された。
『ノルウェイの森』の発行が1987年、The Beatles COMME des GARÇONSの創設が2009年という時系列。
そして2015年4月16日、米誌TIMEにて「世界で最も影響力のある100人」に村上春樹が選ばれた際、オノ・ヨーコが「偉大な想像力を持った作家 (He is a writer of great imagination)」と村上春樹を論評していたこと。
その2つの要素から「もしかして、オノ・ヨーコが『ノルウェイの森』を読んで、アップル・レコードのTシャツ制作を発案したのではないか…?」なんてことも妄想してしまう。ニヤついてしまうほどの繋がりだ。
因みにTIME「世界で最も影響力のある100人」において村上春樹は「時代の象徴」部門の一人に挙がっている。
Tシャツが村上春樹を肯定する
そして来る2015年夏のファッショントレンドは何だったのか。
そんなこと、ここまで村上春樹とTシャツの縁の必然性を目の当たりにすれば容易に想像できるはずだ。
そう、言うまでもなく「白いTシャツ」だった。それもTシャツ全盛期1990年代に大流行したあのクルーネックが大流行したのだ。
村上春樹が「時代の象徴」であることを明白にしたのは“白い”Tシャツだった。
村上春樹は、“Tシャツ”という運命の迷路を、奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら歩んでいく他ないのだ。
2021年3月現在販売中の、ユニクロ (UNIQLO) のTシャツブランド、UTとのコラボコレクション「Haruki Murakami / 村上RADIO UT」でも展開されている代表作『ダンス・ダンス・ダンス』(1988) の主人公「僕」のように。
ユニクロUTとのコラボ記事はこちらから↓
(News) 村上春樹、ユニクロ「UT」のコラボTシャツ販売が決定!